『マンマ・ミーア!』 ヒア・ウィ・ゴー・アゲイン
ビクター・ウォレス(’95)が、25年続く大ヒットミュージカルで輝き続ける。
ウィスコンシン州デラバン出身の少年が、どうやって『マンマ・ミーア!』でキャリアの中心を飾る俳優になったのか?
IC(イサカ大学)卒業生のビクター・ウォレス(’95)の道は、本人がサウスヒルのキャンパスに足を踏み入れる前から、ある教授によって始まっていた。
*『マンマ・ミーア!』初日の夜、ウィンターガーデン・シアターの前に立つビクター・ウォレス(’95、右)。写真提供。
ティーンエイジャーの頃、ウォレスは芝居が大好きだった。しかし、ウィスコンシン南東部ではその情熱を深める環境は限られていた。そこで彼は夏になるとミシガン州のインターロッケン演劇キャンプまで5時間以上かけて通い、そこでICの名誉教授アルノ・セルコに学んだ。高校卒業後の進路を考える頃には、ウォレスの気持ちはミュージカル俳優になることに定まっていた。セルコは、ウォレスとその家族にイサカ大学を勧めた。
1990年代初頭、ミュージカルシアターの学位を取得できる大学は多くなかった。イサカ大学にはそのプログラムがあり、しかも全米屈指の水準だった。倍率は高かったが、ウォレスは挑戦し、そして合格を勝ち取った。
「好きなことを仕事にし、キャリアにできたことが本当にうれしい。俳優として生活していくことはできるんだ。とても恵まれているし、誇りに思うよ」。
— ビクター・ウォレス ’95
ウォレスは大学の学期中は猛勉強し、夏はバージニア州ウィリアムズバーグのブッシュ・ガーデンズのテーマパークでパフォーマーとして働いた。
この経験のおかげで、同じ演目を一日に何度も演じる持久力が身につき、後にロサンゼルスで出演した全国ツアー版『オペラ座の怪人』にも大いに役立った。
ウォレスは複数の作品で様々な役を演じたが、中でも一貫して彼のキャリアを繋いできたのが『マンマ・ミーア!』である。
2003年、ウォレスはラスベガスのマンダレイ・ベイで開幕した『マンマ・ミーア!』に若き婚約者スカイ役で出演し、2年間その役をつとめた。
「スカイを演じていた頃、『いつかサムを演じられるんじゃないか』と思っていたんだ」。
その予感は正しかった。2008年、ウォレスは同じラスベガス公演の閉幕時に、父親役のサム・カーマイケルとして戻ってきた。
当時スカイ役の彼はサムに共感できなかったが、今では視点が変わっている。
「好きなことを仕事にしてキャリアを築けたのは本当にうれしい。僕は有名人ではないし、この道には浮き沈みがたくさんあった。でも俳優として生きていくことはできる。とても恵まれているし、誇りに思っている」。
*ビクター・ウォレスのヘッドショット(宣材写真)。
*『マンマ・ミーア!』でサム役を演じるビクター・ウォレス(中央)。
2012年、ウォレスはブロードウェイ版『マンマ・ミーア!』のアンサンブルでデビューし、父親役のアンダースタディ(代役)を務めた。
のちに正式にサム役に昇格し、2015年のブロードウェイ最終カンパニーでサムを演じ切った。
2023年には『マンマ・ミーア!』25周年全米ツアーの初演キャストとしてサム役に復帰し、2年間にわたって全米を巡った。
そして今、彼は再びブロードウェイへ戻り、作品誕生の地であるウィンターガーデンシアターで、6か月間の25周年記念公演に出演している。
「ブロードウェイは世界の演劇の中心で、そのコミュニティの一員であることはいつも魔法のように感じる。ニューヨークには観劇のために世界中から人が集まる。『マンマ・ミーア!』のような作品の素晴らしいところは、人々に喜びをもたらすこと。今の時代、それがどれほど必要とされているかを感じるよ」。



