『熊本地震から今日で7カ月!三反園知事、川内再開を容認、県民を裏切り!』
11月14日月曜日昼
【熊本地震・被災者生活・復旧復興情報】
*下記熊本情報はあらゆる箇所で重複しています。ご了承ください!
皆様こんにちは。一連の熊本地震で最初に震度7の揺れを観測した地震から、本日14日で7か月となります。計画されている仮設住宅が本日14日ですべて完成する予定ですが、半壊以上と認定された住宅を自治体が解体・撤去する「公費解体」の進捗(しんちょく)率が20%程度にとどまるなど、引き続き、生活の再建が課題となっています。
熊本県によりますと、一連の熊本地震では、県内の14の市町村で、災害関連死と認定された81人などを含め、合わせて137人が死亡しました。
最も多いときで855か所あった県内の避難所は、西原村の1か所となったほか、16の市町村で4303戸を計画している仮設住宅は、98%余りが完成し、残りの48戸も本日14日に完成する予定です。
一方、熊本県内で被害を受けた住宅は17万棟を超え、このうち「半壊」以上が4万棟近くに上っています。熊本県によりますと、半壊以上と認定された住宅を自治体が解体・撤去する「公費解体」の進捗率は、先月末の時点で20%程度にとどまっています。
また、大規模な土砂崩れが起きた南阿蘇村と御船町の合わせておよそ500世帯では、今も断水が続いているほか、道路が復旧していない地域もあり、引き続き、生活の再建が課題となっています。
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鹿児島県の三反園訓(みたぞのさとし)知事は11日、定期検査中の九州電力川内原発1号機(薩摩川内市)で実施している特別点検を視察しました。終了後に取材に応じ、焦点である12月8日に予定される運転再開の是非について「(設置予定の原子力問題に関する)検討委員会の結論に基づき総合的に判断する」として明言を避けました。ただ、検討委の結論が運転再開前に出る見込みは薄く、事実上異論は唱えないとの姿勢を示したことになります。
知事就任後、初の川内原発視察。原子力工学の専門家2人が同行し、ポンプなどを固定する基礎ボルトを作業員が点検する様子や、使用済み燃料プールの水中点検などを視察し、点検結果の説明を受けました。知事は「自分の目で確認できて良かった。特別点検をすることで県民の安心が増すと思う」と語りました。
知事は、原発への考えをまとめる土台となる専門家組織「原子力問題検討委員会」については「人選はほぼ終えた」という。だが12月8日までに県議会の承認を得て設置し、今回の視察結果を踏まえて結論を得るのは日程上、困難とみられています。
◆「今回の視察も県民向けのパフォーマンスと取られかねない」と批判
一方、知事は「私に稼働させる、させないの権限はない」としつつ「検討委で安全でないとなれば、強い対応をとる」とも述べました。
反原発団体代表で、知事と検討委設置の政策合意を結び知事選立候補を見送った平良行雄氏(57)は「検討委が設置できてないならば運転再開を拒否するべきだ。このままやすやすと運転再開を認めれば公約違反と言わざるを得ない。今回の視察も県民向けのパフォーマンスと取られかねない」と批判しています。
視察に同行した九州大大学院工学研究院の守田幸路教授は本紙の取材に「入念な安全点検がなされている。少なくとも熊本地震の影響については全く心配する必要はない」と述べました。
1.被災地情報
①熊本地震、仮設住宅すべて完成!バリアフリー対応も
熊本地震の前震から7カ月となる本日14日、被災者のために熊本県内で建設が予定されていたすべての応急仮設住宅が完成します。同県益城町と御船町でこの日新たに計48戸が完成し、16市町村に4303戸が整備されました。
益城町の福富仮設団地にはバリアフリー対応の仮設住宅が全6戸整備されました。2DK(37.3平方メートル)で、玄関やトイレ、浴室の段差を解消。出入り口の幅は80センチ以上で、車いすで楽に通ることができます。町によりますと、車いす利用者や視覚障害者など4世帯10人が入居予定とのことです。
19歳の時に屋根から転落して頸椎(けいつい)を損傷し、車いすを使っている作本誠一さん(50)は町の避難所が閉鎖された後、町が役場近くに開いた「待機所」でバリアフリー対応の仮設住宅の完成を待っていました。作本さんは「これまでは自分の居場所がないような気がしていた。まずは入居してから、使い勝手を確かめたい」と話していました。
②炊き出し、交流のきっかけに 益城町の仮設団地
熊本地震の仮設団地のコミュニティーづくりに一役買おうと、玉名市の玉名高と同校付属中の保護者でつくる育友会が昨日13日、益城町の馬水、馬水東道(ひがしみち)の両団地(計133戸)で牛丼を振る舞いました。
育友会はこれまで4回、弁当中心だった町の避難所で炊き出しを実施。10月末に町内の全避難所が閉鎖されましたが、仮設団地の住民が集うきっかけづくりとして続けることにしました。
保護者ら約30人が馬水団地の集会所前で400人分を調理。近くの馬水東道団地にも届けました。両校音楽部による合唱のプレゼントもあり、女子生徒28人が「箱根八里」「君をのせて」など6曲を披露。住民は豊かなハーモニーに聞き入っていました。
馬水団地の西山隆文自治会長(67)は「普段、集会所に来ない住民も興味を持って来てくれた。交流が深まりありがたい」と感謝していました。
③南阿蘇村の高野台、集団移転を検討!住民ら「土砂災害怖い」
南阿蘇村が昨日13日、熊本地震による土砂崩れで甚大な被害が出た南阿蘇村河陽の高野台分譲地(16戸)の住民を対象に開いた意見交換会で、村内で初めて「集団移転」を検討する意見が上がりました。
同分譲地は、4月の本震で全16戸のうち12戸が全壊し、4戸が半壊。住民5人が犠牲となりました。意見交換会に参加した12戸のうち、現地での再建を目指す意思を示したのは3戸だけ。移転希望者からは「新たな土砂災害が怖い」「これだけの犠牲が出た場所にはもう戻れない」などの声が相次ぎました。
同分譲地は合併前の旧長陽村が2000年、村外からの移住者を対象に開発。住民の多くは住宅ローンの支払いが残っており、集団移転制度を利用できれば、被災した宅地の売却費用の補償や再建した住宅のローン優遇などの利点があります。
ただ、制度を利用するには問題があります。国の防災集団移転促進事業の規定では「10戸以上で同じ地域内への移転」が対象とされているからです。同分譲地では、熊本市などへ通勤する住民も多く、村外移転を望む人が増えれば、10戸以上まとまれず、利用できなくなる可能性もあります。
意見交換会の席上、村は近くの東急分譲地と合わせて移転戸数を募る案を提示。また、東日本大震災では対象戸数を5戸に緩和した特例を挙げ、熊本地震でも適用できるよう国に要望していることを明らかにしました。今後は「住民の希望を集計し、移転先の候補を示したい」とのことです。
村内の仮設住宅に入居する高橋俊夫さん(47)は「移住者の分譲地という特殊な事情も踏まえて、柔軟な制度運用を求めたい」とした上で、「交通の便なども加味して村に残り続けられる移転先を示してほしい」と訴えました。
➃復興を後押し、生徒がダンスで躍動!熊本市で高校生フェス
熊本地震からの復興を後押ししようと、第5回くまもと高校生フェスティバルが昨日13日、熊本市中央区の花畑広場でありました。県内と佐賀市の計9校の高校生約200人が、ダンスや音楽演奏などを披露して盛り上げました。
私学助成などを訴える催しを6年前に衣替えし、公立高も参加。「高校生は微力だが無力じゃない」を統一テーマに、生徒らでつくる実行委が企画しました。
開会式では、九州学院高2年の尾前杏奈さん、上野菜々子さんが「私たちに今できることをしよう。傷ついた熊本を元気にしよう」とあいさつ。ダンスや吹奏楽の発表、学校自慢などがありました。
被災地でのボランティア体験報告や、佐賀清和高を交えたパネルディスカッションもあり、復興へ向けて意見を交わしました。
⑤復興イベントにHKT駆けつけ交流、熊本市
熊本市南区城南町の福祉施設「城南学園」で昨日13日、「復興祭スマイルハートフェス」が開かれました。県出身の田中美久さんらHKT48のメンバー6人も駆けつけて交流。施設利用者や仮設団地の入居者らが、ダンスや多彩な食を楽しみました。
熊本地震の被災者を元気にしようと、学園を運営する社会福祉法人慶信会が企画。地震で施設は全壊しましたが、支援物資の提供を通じて知り合ったボランティアの協力で開催にこぎ着けました。600人分の食品無料券も準備し、近くの塚原、藤山両仮設団地の住民も招待しました。
会場には地元産品のほか、宮城県石巻市のサンマや長野県松本市のおやきなどを提供するブースがずらり。ステージではHKTのライブやおやじダンスも披露され、近くの木下優哉君(5)は「みんなで踊れて楽しい」と喜んでいました。
⑥熊本城でイベント続々!2カ月10万人超、市は「復興へ貢献」
熊本市が、熊本地震の「復興の拠点」として位置付ける国特別史跡・熊本城。二の丸広場には仮設ステージも設置され、八つのイベントには10万人以上が集まりました。しかし、被害の大きかった熊本城内でのイベントに、「開催場所としてふさわしいのか」と疑問の声も上がっています。
10月29日の音楽ライブ「GACHIスペシャル」。人気アーティストの熱演に約2万人が沸きました。大西一史市長もドラムを披露。同市の女性(56)は「二の丸広場は県外の人にも分かりやすく、何万人も動員できる。熊本城に向かって歌えて出演者も喜んでいた」とうれしそうでした。
市が二の丸広場に、ステージを設置したのは8月末。9月3日からほぼ毎週末、イベントが開かれています。
市はこれまで、二の丸広場でのイベント開催を、原則として年2回の「お城まつり」と「熊本城マラソン」に限定していましたが、地震後は姿勢を転換しました。「熊本城の価値を知ってもらうため」というのが、その理由です。
大西市長は言います。「今は平時の状態ではなく、城内にも入れない。傷ついた熊本城を知ってほしい。イベントが熊本城を身近に感じてもらう機会になればいい」。市熊本城総合事務所も「『イベントで元気づけられた』とのメールも届く」と話しています。
イベントはすべて市の主催。「城の復興に資する内容か、信頼できる主催団体かどうかを有識者や経済団体などでつくる『お城まつり運営委員会』と協議した」と熊本城総合事務所は説明します。しかし、メンバーに文化財の専門家はいません。
本来、文化財の活用やイベント内容を審議するのは市文化財保護委員会です。8月26日夜の審議で仮設ステージ設置が了承されると、市は翌朝、工事に着手。ステージ設置やイベントの準備は水面下で進んでいました。
以降、委員会は開かれていません。「イベント内容は事後報告するとのことだったが、いまだに知らされていない」と、委員の一人はいら立ちを隠せません。
市の姿勢に、永青文庫研究センター長の稲葉継陽・熊本大教授は疑問を投げ掛けます。「熊本のために開催される復興イベントは歓迎だ。ただ二の丸広場が、その場所としてふさわしいのか」。
被災史料のレスキュー活動にも取り組む稲葉教授は「城が傷ついている時だからこそ、活用は慎重であるべき」と指摘します。甚大な被害を受けた熊本城で「毎週のように何万、何千という人が史跡内に入り、本当に遺構保存に影響はないのか」。安全上も、被災城郭に大勢の人を集めることが適当とは思えないと主張しています。
文化財保護委員会の村上豊喜委員長も「イベント開催は、熊本城の文化財としての価値を損なわないことが大前提」とくぎを刺します。
熊本城の活用や復元整備をめぐっては2013年、市は文化庁から「史跡保護の観点に欠けた活用がある」として文書指導を受けました。文化財保護委員会の事務局、市文化振興課は「イベント内容を事前に丁寧に説明すべきだった。今後は改めたい」と説明します。
今後20年間「工事中」が続く熊本城。歴史を受け継いでいくための復旧保存と活用方法が問われています。
⑦願う成長、祈る復興!被災神社で「七五三」
明日15日の「七五三」を前に、熊本地震で被災した神社では12日、晴れ着姿が目立ちました。仮設住宅から訪れた家族は「地震に負けない」と誓い、壊れた拝殿を背に記念撮影する参拝客も。地震発生から7カ月、復興とわが子の健やかな成長を重ねて願いました。
益城町の津森神宮は半壊した拝殿や神殿の応急修理を終え、参拝客を迎えました。
自宅が全壊し、仮設住宅に暮らす同町下陳の農業山住工(たくみ)さん(34)は、長男真人(まさと)ちゃん(3)の宮参り。避難所で約3カ月過ごし、地震直後は夜泣きが増えましたが、生活の場が仮設住宅に落ち着くと徐々に収まったそうです。
「早産で未熟児だったので、元気に育ってくれてうれしい」と山住さん。「地震に負けず、益城町の復興とともにたくましく成長してほしい」と話し、晴れ着姿の真人ちゃんを抱き締めていました。
甲斐喜三男宮司(60)は「地震で不安を抱えた子どもがたくさんいる。参拝に訪れるご家族には、気持ちを込めて健やかな成長を祈りたい」と話していました。
本震で拝殿と国指定重要文化財の楼門などが倒壊した阿蘇市の阿蘇神社は、解体工事が1日に始まったばかり。参拝客はブルーシートで覆われた楼門の前で一礼し、神事は境内の仮拝殿で営まれました。
同市一の宮町の会社員甲斐孝志さん(37)と梢さん(33)の次女みつきちゃん(2)は、梢さんが30年前の七五三で着た着物で装いました。自宅の被害はなく、「神社がこの子を守ってくれた。今度は私たちが神社に恩返しをしたい」と梢さん。めくれ上がった屋根の銅板や積み上げられた木材など、地震被害がそのまま残る光景を家族で見つめていました。
国道57号の寸断などで参拝客は例年より少ないですが、阿蘇治隆宮司(64)は「被災後も多くの人が訪れてくれるのが励みになる。一刻も早く楼門や拝殿を元の姿に戻し、阿蘇に元気を届けたい」。
熊本市中央区の加藤神社は、被災した熊本城の天守閣を間近に望みます。栃木県に単身赴任している菊陽町の会社員鳥野裕介さん(34)は「被災したお城に驚いた」と話し、長男羽希(はつき)ちゃん(3)とともに写真を撮り、「元気で優しい子に育ってほしい」と願っていました。
⑧民謡で被災伝える、宇城市の歌手が全国大会特別賞
民謡歌手で尺八奏者のカルデラ輝久山(きくざん)さん(72)=本名・瀬井寿義、宇城市不知火町=が熊本地震を受けて新作の民謡を作り、10月に東京都であった民謡民舞全国大会で特別賞に選ばれました。輝久山さんは「民謡を通じて熊本地震を後世に伝えたい」と話しています。
輝久山さんは高森町出身。「五家荘山唄」などの作詞・作曲で知られ、10年前に妻の故郷の宇城市に移住しました。民謡の指導や福祉施設への慰問などを続けています。
4月の地震では自宅が半壊し、約2週間の車中泊も経験しました。強い余震におびえながらも、報道で県内各地の被害の大きさを知るうちに「50年後、100年後のために何かを残そう」と決意。日本民謡協会の全国大会への応募に合わせ、6月中旬に「熊本地震の唄」を完成させました。
『南阿蘇 大橋 谷間に 落ちて道が無い』。南阿蘇村や熊本市、益城町などの被害をストレートに伝え、『手をつなごう心つないで』『力合わせて立ち上がろう』と復旧・復興への思いも込めまし。
10月13~16日に国技館で開かれた全国大会には約2千人が参加。輝久山さんの尺八に合わせて民謡歌手の次女、瀬井真奈美さん(41)=宇城市=が熱唱すると、客席で涙を流す人もいたそうです。
2人は「つらい体験をした当事者が歌ったからこそ、気持ちも伝わったと思う。今後も機会があれば歌い続けていきたい」と声をそろえていました。
⑨熊本城、阿蘇神社に支援金!荒尾市、東京都のライオンズクラブ
熊本地震で被災した阿蘇市の阿蘇神社と熊本市の熊本城の復興に役立ててもらおうと、荒尾市の荒尾ライオンズクラブと東京都の江戸川南ライオンズクラブが計50万円の支援金を贈りました。11,12日、両クラブの幹部らが同神社と熊本城総合事務所を訪れました。
荒尾市出身で江戸川南クラブ第1副会長の硯川俊浩さん(56)が、地震で傷ついた故郷を支援したいと募金を企画。荒尾クラブにも呼び掛け、合同で支援金を贈ることにしました。
楼門などが倒壊した阿蘇神社には両クラブの18人が訪問。荒尾の高木洋一会長(56)と江戸川南の井桁秀夫会長(66)が、阿蘇治隆宮司(64)に手渡しました。井桁会長は「十数年ぶりに阿蘇神社に来たが、惨状に言葉がない。長期的に支援していきたい」と話していました。
2.ここ一週間の地震
2016/11/14 02:51 14日 02:48頃 熊本県熊本地方 1
2016/11/13 23:05 13日 23:02頃 福島県浜通り 1
2016/11/13 06:35 13日 06:32頃 熊本県熊本地方 2
2016/11/13 04:56 13日 04:49頃 熊本県熊本地方 1
2016/11/13 01:36 13日 01:33頃 熊本県阿蘇地方 1
2016/11/13 00:49 13日 00:46頃 宮城県沖 1
2016/11/12 23:40 12日 23:37頃 長野県北部 1
2016/11/12 21:23 12日 21:19頃 神奈川県西部 2
2016/11/12 16:04 12日 16:01頃 宮城県沖 1
2016/11/12 09:34 12日 09:30頃 トカラ列島近海 1
2016/11/12 07:30 12日 07:25頃 与那国島近海 2
2016/11/12 06:53 12日 06:43頃 宮城県沖 4
2016/11/12 06:48 12日 06:43頃 宮城県沖 4
2016/11/12 02:58 12日 02:55頃 熊本県熊本地方 2
2016/11/12 02:45 12日 02:41頃 栃木県南部 2
2016/11/11 22:10 11日 22:07頃 宮城県沖 1
2016/11/11 13:59 11日 13:54頃 伊勢湾 1
2016/11/11 10:16 11日 10:12頃 熊本県熊本地方 4
2016/11/11 01:02 11日 00:59頃 鳥取県中部 1
2016/11/11 00:50 11日 00:44頃 薩摩半島西方沖 1
2016/11/11 00:15 11日 00:09頃 トカラ列島近海 1
2016/11/10 17:52 10日 17:49頃 大隅半島東方沖 1
2016/11/10 11:34 10日 11:31頃 長野県中部 1
2016/11/10 07:32 10日 07:28頃 宮城県沖 1
2016/11/10 07:26 10日 07:20頃 宮城県沖 2
2016/11/10 03:59 10日 03:55頃 埼玉県南部 1
2016/11/10 00:11 10日 00:08頃 熊本県熊本地方 1
2016/11/09 22:13 09日 22:09頃 福岡県北九州地方 1
2016/11/09 20:12 09日 20:08頃 熊本県熊本地方 2
2016/11/09 15:40 09日 15:37頃 紀伊水道 1
2016/11/09 15:17 09日 15:14頃 豊後水道 1
2016/11/09 07:12 09日 07:09頃 千葉県北東部 1
2016/11/09 05:53 09日 05:50頃 福岡県北九州地方 1
2016/11/09 00:05 09日 00:02頃 熊本県熊本地方 2
2016/11/08 21:47 08日 21:43頃 茨城県沖 2
2016/11/08 18:26 08日 18:20頃 鹿児島県薩摩地方 1
2016/11/08 18:13 08日 18:08頃 鹿児島県薩摩地方 1
2016/11/08 17:26 08日 17:20頃 熊本県阿蘇地方 1
2016/11/08 17:20 08日 17:17頃 鳥取県中部 3
2016/11/08 10:30 08日 10:27頃 熊本県球磨地方 2
2016/11/08 08:28 08日 08:24頃 父島近海 1
2016/11/07 23:54 07日 23:50頃 鳥取県中部 1
2016/11/07 23:32 07日 23:28頃 福岡県北九州地方 2
2016/11/07 19:35 07日 19:32頃 新島・神津島近海 1
2016/11/07 13:35 07日 13:31頃 鳥取県中部 1
2016/11/07 10:18 07日 10:15頃 宗谷地方北部 2
2016/11/07 06:41 07日 06:36頃 岩手県沖 1
2016/11/07 05:30 07日 05:26頃 沖縄本島近海 1
2016/11/07 01:57 07日 01:54頃 熊本県熊本地方 2
(続く)