『なぜ苛立つ?三反園知事?結局、選挙公約違反なんでしょ?』
11月17日木曜日昼
【熊本地震・被災者生活・復旧復興情報】
*下記熊本情報はあらゆる箇所で重複しています。ご了承ください!
皆様こんにちは。川内原発再稼働質問集中に苛立ちの三反園訓・鹿児島知事、「昨日の続き」をご紹介いたします。彼はどこまでが本当でどこからがデマなのか?わからない人です。
Q.改めて安全じゃないと分かったら、九電に強い対応をとるのですか?
A.それはそうですよ。安全かどうかで私は判断するんですよ。それを判断してもらうための検討委員会じゃないですか。それをできるだけ早くつくって、その場で専門家の人たちに集まってもらって、いろんなことを総合的にいただいて、それで私が判断するということだと思っております。基本は何かというと、県民の安心安全だと思っておりますので、さっきも言いましたけど、稼働しても稼働しなくても、そこに原発は残り続けます。そして使用済み核燃料もそこにあるんです。
そうした場合に何が一番大事かというと、リスクを減らしていく、何があっても対応できるような、そういったことをつくっていく、安心安全を守っていく。そのためには、私が九州電力にも、これまでずっと要請しておりましたけれど、何かあったときにどうすればいいか、避難誘導道路もあるし、避難用車両も必要でしょうし、避難用の道路に関しては、早急に、鹿児島県と薩摩川内市と九州電力の中で、対応を取っていくことになると思います。
Q.安全が一番重要であって、放射性物質は稼働しても稼働しなくてもそこにあるという発言を踏まえると、必ずしも停止させることが重要ではないということと捉えてよろしいですか?
A.それはどういう意味ですか。今、停止して検査してますよね。
Q.「再稼働をさせない」ことが必ずしも目的ではないという意味ですが。
A.それは逆に教えていただきたいんですけど、私に稼働させる稼働させないという権限はないんです。はっきりいって。だから私の考え方だけで、突き進むのではなくて、一番大事なものは何かというと、県民の方々の安心安全ということが一番大事なわけですよ。実際問題、そこにあり続けるわけですよ、実際問題として。
じゃあ、トップとしてどうすればいいかというのは、私はずっと言い続けてますけど、県民の安心安全をどうやって守っていくかと、それが私の役割であります。だから熊本地震を受けて、一旦停止をして、安全かどうかを検査してほしいということを、ずっと訴え続けたわけですよね。それを、今特別点検という形でやっているわけです。その結果が出次第ですね、定期検査もやっているわけですから、それを総合的に判断して、私が最終的に決めるということでありまして、それはずーっと一貫しているわけであります。
Q.確認させてください。12月8日までに知事として明確に判断されるのかどうか、それが分からないのですが。
A.私は何回もいいますけれど、検討委員会をつくって、その場で議論していただいて、そしてその結論が出た段階で、安全かどうかを判断して、私が総合的に、結論を出したいと、判断したいということであります。安全かどうかということに関して、何回も言いますけれど、一番大事なものは何かというと、稼働しても稼働しなくてもそこに放射性物質が(あり)、今日、使用済み核燃料棒、ピットを見ましたけども、どんどんどんどん増え続けているわけです。実際問題として。
じゃあ、どうするのか、一番大事なものは何かというと、リスクを減らして、そして安全を増していく。これがトップの役目だと思っております。ということは、専門家から改めて詳細な形の中で、いろんな話、報告を受けて、特別委員会の中でたくさんの方々の意見を聞いて、結論を出していただいて、その結論を元に、私が総合的に判断したいということは、前からずーと一貫して言っていることであります。それに尽きるということでご理解していただきたいと思っております。
Q.12月8日までに検討委員会ができて、結論が間に合うと考えているのでしょうか?
A.それに関してもですね、私ずっと言っておりますけれども、県議会の方々のご理解を得て、できるだけ早く検討委員会をつくりたい。そのための努力はしております。私の気持ちはそうなんです。できるだけ早く検討委員会をつくって、その場でできるだけ早くたくさんの方々に議論していただいて、どうすれば一番いいのかと、安心安全は何なのかということを、総合的に議論していただいて、結論が出たところで、私として総合的に判断したいということであります。今日の段階ではそれに尽きる、ご理解していただきたいなという風に思っております。
Q.12月8日までに判断が出ないという可能性もあるのですか?
A.もう何回も同じことを言って申し訳ないですが、同じこと聞くんで同じ答えになるわけですよ、実際問題として。だから今、今言った答えということであります。
Q.結論出さないわけですよね?検討委員会ができない限り、きちんとした検証結果は出ないわけだから、12月8日までに検証委員会ができなければ協議できませんよね?
A.いや、だからそんな単純なもんじゃないんですよ。実際に。単純なもんじゃないんですよ。そんなね、だからもう、私の考えも含めてですね、またみなさん方にお伝えするときがあると思いますので、そんな単純に判断するということでなくて、何回もいいますけれども、同じこと聞かれるから同じこと答えるしかないんですが、稼働しても、稼働しなくても、そこに放射性物質があり続けることは、そこにあるんですよ。だから、検討委員会が結論を出して、安全じゃないと思ったときに、私は強い対応を取るといっているじゃないですか。強い対応を取るんですよ。それが全てじゃないですかね。
Q.(知事が)安全かどうか判断する前に、九電は原発を動かしていいんですか?だめなんでじゃないですか?
A.いや、そこに関してもですね。私自身としては、あり続けるわけですから、安全安心を守るために、今後も検討していきたいと、そういう風に思っております。
Q.原発稼働する危険性についてはどう考えていらっしゃいますか?
A.だから稼働しても稼働しなくても、そこに放射性物質があるわけですよ。で、はっきりいいますけれども、私に、稼働させる稼働させないの権限ないわけじゃないですか。実際問題として。その中で、私が何をすれば一番いいかですよ。私が今回、熊本地震を受けて、九電に対して2回要請しました。2回要請したことによって、特別点検が行われました。避難用誘導道路も、一緒につくるということになりました。避難用車両も増しました。安全安心に関しては、3歩も4歩も進んだじゃないですか。安全安心に関しては。だからこそ、特別点検を要請したからこそ、私が一旦停止を要請したからこそ、3歩も4歩も進んで進んで、安全安心が増したわけですよ。
だから今後も、私としては、安心安全が増すためにどうすればいいか。それを考えながら、判断していきたいなということであります。それが全てであります。県民の不安を解消して、安心安全を保っていく、それがトップの役割なんです。そのために、私は今後も全力を尽くしていくということであります。それでみなさん、ご理解していただければなという風に思っております。今後は、安心安全のために、どうすればいいかということを、専門家とともに、総合的に判断して、安全じゃないということであれば、私はそのときにはまた、強い対応を取りたいなという風に思っておりますので、よろしくお願い申し上げます。
本当に、そこに原発はあり続けるんです。だからこそ、廃炉へ向けてどういう形の中で動き出していくのか、そこも今後焦点になってくるのではないかなということだけは、申し伝えておきます。よろしくお願いします。
1.被災地情報
①巨大地震の想定域!橋の耐震補強を集中的に実施へ
ことし4月の熊本地震で、災害時に使うことを想定していた国道や高速道路などで橋が壊れ、物資の輸送などに影響が出たことを受けて、国土交通省は、想定される南海トラフの巨大地震や首都直下地震などで激しい揺れが予想される地域について、来年度からの5年間で橋の耐震化を集中的に進めることになりました。
これは、昨日16日開かれた今後の道路政策を審議する会議の中で国土交通省の担当者が明らかにしました。
それによりますと、熊本地震では、災害時の「緊急輸送道路」に指定されている国道や高速道路などの112の橋で、橋を支える部品が壊れるなどして通行できなくなりました。
国は、平成7年の阪神・淡路大震災のあとに橋の耐震基準を見直し、古い橋については順次、耐震補強を行っていますが、今回壊れた橋のうち9つは、補強が済んでいない古い橋だったということです。
同様の古い橋は、国道と高速道路の橋の4分の1に当たる7700に上り、国土交通省は、来年度からの5年間で、想定される南海トラフの巨大地震や首都直下地震などで震度6弱以上の揺れのおそれがある地域の橋について、耐震補強を集中的に行うことになりました。
それ以外の地域についても、今後10年年間で耐震補強を終えるとしています。
また、熊本地震では高速道路の上にかかる道路橋も落下したことから、国土交通省は、国道や高速道路の上にかかるおよそ850の道路橋についても、来年度からの5年間で補強を終えることにしています。
②熊本地震被災地への旅行、外国人6割「控えない」
日本政策投資銀行と公益財団法人日本交通公社がまとめた訪日外国人旅行者の意向調査によりますと、熊本地震でも被災地(熊本、大分)への旅行を控えることはないと答えた人が61%に上りました。調査は6~7月時点で、地震による外国人旅行者への風評被害の広がりは限定的ともいえる結果でした。
調査対象は韓国、中国、台湾、香港、タイ、シンガポール、マレーシア、インドネシアのアジア8日カ国・地域と、米国、オーストラリア、英国、フランスの海外旅行経験者。6198人にインターネットで観光地の認知度や地方への訪問意欲などを聞きました。
熊本地震の認知度は「知っている」が45%、「聞いた気がする」が32%。「知らない」は23%で、アジア以外の国の方が認知度が低いようでした。
「安全と分かれば、支援のため、被災地を積極的に訪問したい」という人は17%。台湾、タイ、香港の割合が高かったようです。
「被災地旅行を控えようとは思わない」、「震災直後は控えていたが、今はそう思っていない」は、いずれも22%でした。
被災地訪問に当たって必要な情報(複数回答)は、「より詳細な観光地別の被害および復旧の状況」が55%、「正確な余震の発生状況に係る情報」が51%などでした。
政投銀地域企画部は「国ごとにみると、親日感情などによって訪問意欲にばらつきがあった。ターゲットを絞った戦略が必要だろう」と話しています。
③グランメッセ、来春に会議室など一部再開
熊本地震で休館している県の産業展示場グランメッセ熊本(熊本県益城町)は昨日16日、多目的ホールと会議室の利用を来年4月1日に再開すると発表しました。被災から約1年ぶりの一部復旧。中心施設の展示ホールは7月1日に再開し、全面復旧します。
多目的ホールは4~6月、展示ホールは7月から1年間の利用について、今年12月1日に申し込みの受け付けを始めます。会議室の4月分と多目的ホールの7月分は、年明けから受け付けます。
施設の再開に伴い、10月から展示場として利用している駐車場の貸し出しは、来年3月末で終了します。
同施設は、地震で展示ホールの天井板が落下するなどの被害を受けました。被災から約3カ月間、駐車場を車中泊の避難場所として開放するなど、被災者支援に活用されました。
再開後の利用について、指定管理者の熊本産業文化振興は「何らかの形で復興支援に結び付く取り組みをお願いしたい」と呼び掛けています。
④県道熊本高森線を拡幅へ!益城町3.5キロ4車線化
熊本地震で甚大な被害を受けた熊本県益城町の中心市街地を通る県道熊本高森線について、県が現在の2車線(片側1車線)から4車線(同2車線)に拡幅する方針を固めたことが昨日16日、分かりました。4車線化に向けた調査・設計・測量費など約1億円の関連予算を12月1日開会の定例県議会に提案する方針。
県は被災地の復興と活性化に向けた起爆剤として、災害に強いまちづくりの中核的な取り組みとする考え。ただ、沿道には多くの地権者がおり、4車線化には概算で100億円超の事業費と、約10年の期間が必要と見込んでいます。影響を受ける住民の理解と協力が不可欠で、安定的な予算の確保なども課題になりそうです。
熊本高森線は、益城町と熊本市を東西に結ぶ同町の主要幹線道路で、熊本地震では沿道に大きな被害が出ました。町内の区間は2車線しかなく、周囲には住宅や店舗、病院、事業所などが密集。道幅も狭いため、防災やまちづくりの観点から町が拡幅を県に要望していました。
関係者によりますと、拡幅するのは熊本市東区との境から国道443号との交差点までの約3.5キロ。熊本市側の4車線を延伸する形となります。本年度中に都市計画の決定と国の事業認可を目指します。
県は、地震被害が大きかった益城町など熊本都市圏東部地域について、熊本空港や先端産業の立地などを生かした「創造的復興」を重視しています。益城町も策定中の復興計画で、熊本高森線の拡幅を含む幹線道路ネットワークの整備や都市機能の集積を打ち出しています。
⑤阿蘇神社拝殿の解体終了!撤去進め月内に更地へ
*過去記事と内容重複
熊本県阿蘇市の阿蘇神社で15日、熊本地震で倒壊した拝殿の重機による取り壊しが終わりました。今後は保存する部材と処分する部材の整理をしながら撤去を進め、今月中に更地になります。
最後まで残っていた拝殿の一部が昼前、「メキメキ」と大きな音を響かせて倒れ、奥の神殿3棟が姿を現しました。七五三で訪れていた親子連れや参拝客らは、拝殿跡を向いて静かに手を合わせていました。
南小国町の農業、掘清二さん(61)は「壊すのはあっという間。これから時間をかけて再建する神社を見守りたい」と寂しそう。池浦秀隆権禰宜(ごんねぎ)は「長年神事を執り行ってきた場所だけに名残惜しい気持ちもあるが、再建のため乗り越える必要がある」と話していました。
同神社の本格的な復旧工事は今月1日にスタート。未指定文化財の拝殿は部材を再利用する必要がないため、国指定重要文化財の楼門など6棟に先行して解体を進めていました。拝殿の再建計画は策定中。
⑥障害者の憩いの場再開!阿蘇市の宿泊施設
熊本地震で被災して休業していた阿蘇市黒川の障害者宿泊施設「野菜ty(のなてぃ)」が、地震から7カ月を前に改修を終えて再開しました。運営するNPO法人は「多くの方々の支えがあった」と感謝しています。
同施設は、元小学教師が障害者や高齢者らに使ってもらおうと、1997年に建てた簡易宿泊所。木造平屋の120平方メートルで、玄関にスロープがあり、トイレや風呂は段差のないバリアフリー設計。梁や柱は解体材を生かし、まきの暖炉も備える。近くに民家はなく、林に囲まれた“隠れ家”の趣です。
定員は10人で、障害者を中心に年間約80人が利用。同市で障害者を支援する「夢屋プラネットワークス」が運営します。夢屋のメンバーが作るパンなどで利用者をもてなし、宮本誠一代表(54)は「障害者には一般のホテルや旅館よりもストレスが少ない」と話しています。
地震では壁がひび割れ、トイレが損壊。改修費の問題から閉鎖が検討されました。しかし、日本障害フォーラムから約130万円の助成を受け、費用を抑えるため自力でも補修し、再開にこぎつけました。
11月5、6日には、改修後初めての利用者となった県内のスペシャルオリンピックスの選手らが訪れました。17~19日は、埼玉県の難病患者ら7人が宿泊する予定です。
宮本代表は「閉鎖を心配する常連さんもいたので、再開できてよかった。ここへ来たのを機に阿蘇を気に入って移住した人もいる。これからも障害者が憩い、心安らぐ場にしたい」と意気込んでいます。
12~3月は休業。利用料は素泊まりで1人2千円。夢屋プラネットワークスTEL0967(34)0223。
⑦熊本「復興城主」に1万人超!半月で寄付2億円に迫る
*過去記事と内容重複
熊本地震の本震から昨日16日で7カ月。20年を要するとされる熊本城の復旧の費用を募るため、熊本市が今月から「復興城主」の受け付けを始めたところ、15日までに寄付者は1万2953人を数え、総額は1億8千万円を超えました。熊本城総合事務所は「予想以上の支援」と感謝しています。
復興城主は、1万円以上を寄付した人に「城主証」や、観光施設の入場が無料になる「城主手形」を交付する市の制度。1日から熊本城近くの観光施設にある「湧々(わくわく)座」の窓口や専用の用紙による郵便振替での受け付けが始まりました。
窓口には日本各地や外国からの観光客も訪れ、100万円の現金を持参した人もいるそうです。昨日16日に窓口で「城主」となった大阪府吹田市の米村勝義さん(69)は熊本市出身。離れて50年になる故郷の被害に胸を痛めました。「城は熊本のシンボル。一日も早く元通りの姿を見せてほしい」。
熊本城は天守閣の瓦が落ちたり、50カ所の石垣が崩れたりし、復旧費用は総額634億円と推計されています。問い合わせは熊本城総合事務所(096・352・5900)。
⑧「熊本地震の記録」収集を!県などアーカイブ化へ
熊本地震に関わる文書や写真、証言などをデジタル保存して公開する「災害デジタルアーカイブ」づくりに向け、県や市町村職員、図書館司書らの連絡会議が昨日16日、初めて県庁で開かれました。県は20万点の資料収集を目指し、各市町村に市民にも資料提供を呼びかけるよう依頼しました。
デジタルアーカイブは被災や復興の状況を残して、防災教育や後の災害での対応に役立てる取り組み。本や新聞だけでなく、自治体の会議資料や避難所のちらし、被災状況などを示す写真や動画などを保存、公開することで、行政や市民の災害対応の「生の記録」を伝えます。集まった資料は県のホームページから検索して閲覧できるようにします。
この日は、東日本大震災の被災地で事業に携わる立教大の長坂俊成教授が講演。中学生の住民への聞き取りを動画保存している例や、観光業と連携し、被災直後の写真が見られる端末を持って現場を巡るツアーなどの実例を紹介しました。
県内では益城町や熊本市の図書館で収集が先行していますが、多くの自治体はこれから。長坂教授は「時間が経つと文書が捨てられてしまったり、記憶がなくなっていったりする。今はとにかく保存と収集を意識してほしい」と呼びかけていました。
⑨豪華「A列車で行こう」、1日限定で長崎駅へ
熊本地震の「本震」から7カ月となった昨日16日、熊本県内を走る観光列車「A列車で行こう」が、1日限定で長崎駅にやってきました。JR九州長崎支社が復興支援のために企画。人気のゆるキャラ「くまモン」らも同駅を訪れ、観光パンフレットを配って熊本訪問を呼びかけました
「A列車で行こう」の車内見学会には、親子連れや近くの幼稚園児など約300人が参加。「16世紀に天草地方に伝わった南蛮文化」をイメージして、木製のいすやステンドグラスを配した内装に、見学者らは目を奪われていました。
列車は同日夜、約70人を乗せて長崎―肥前長田間を運行。特製弁当付きのチケットは10月半ばには完売。収益の一部は義援金として熊本に送られるとのことです。
⑩阿蘇の「おふくろ亭」再開!地震半年、学生の姿なくても
*過去記事と一部重複
東海大阿蘇キャンパスの「学生村」と呼ばれる熊本県南阿蘇村の黒川地区で食堂を営んでいた橋本としえさん(61)が、熊本地震から半年近くを経て営業を再開しました。倒壊した自宅の下敷きになり、長い治療とリハビリを経て戻った村に学生の姿はありませんが、「元のようなにぎわいがもどってほしい」と料理を作って静かに待っています。
「定食三つ」。開店の正午になると、待っていた復旧工事の作業員がなだれこんできて、七つしかない椅子がすぐいっぱいになります。「今週で現場を離れる」「ご苦労さんでしたね」。そんなやりとりを交わすカウンターの向こうに、地震前は学生たちがいました。
橋本さんは、夫の幹雄さん(65)の実家で学生下宿のおかみとして食事の世話や相談相手をしていました。10年ほど前に下宿をたたみ、アパート経営に切り替えてからも、車がなく料理も作れない新入生らを自宅に招いて食べさせ、体調が悪いと言えば隣町の病院まで連れて行きました。「黒川の人たちと学生は家族のようだった。学園祭にも参加し、夏祭りも一緒にやった」。
食堂「おふくろ亭」をオープンしたのは昨年末。地元特産の赤牛の牛丼や、家庭の味のもつ煮込みなどを看板料理に、学生らでにぎわっていました。
本震が村を襲った4月16日未明、自宅1階で大きな揺れを感じ、立ちあがったとき、床が割れたような感触があり、体が床下に沈んでいきました。潰れた建物のがれきが全身にのしかかり、足が重なったまま動けなくなりました。足の痛みに意識がもうろうとする中、若い男性が「ずっとそばにいるからね。頑張ってね」と横で声をかけ続けてくれました。朝まで耐え、助け出されました。
入院は3カ月余りに及びました。股関節脱臼などの大けがで治療やリハビリが続く中、見舞いに来てくれた学生もいました。7月下旬に退院し、水道の復旧を待って9月下旬、営業を再開しました。立ちっぱなしの仕事は本調子でない体にこたえるため、当面は昼のみの営業です。
地区ではほとんどの家が全半壊し、住民は仮設住宅で暮らしています。約800人いた学生も誰一人住んでいません。「おふくろ亭」1軒がぽつんと開店している状態です。それでも、復旧作業員や家の片付けに来た地元の人が集まる場所になれば、と橋本さんは願っています。
退院後、救助されるまで励ましてくれた男性に、人を介して連絡を取ることができました。近くのアパートに住んでいた東海大4年生でした。直前に救出された夫の幹雄さんにも、はいていた靴をくれたと聞いていました。まだ会えていませんが、電話でお礼を伝えました。男性は村に通って農家の手伝いを続けており、卒業後も農業に携わりたいと話すのを聞き、「頼もしく思いました」と目を細めていました。
学生たちが心に負った傷を考えると、無理に店に誘うのは気が引けます。それでも「いつかまた、帰って来てほしい」。
営業は正午~午後14時。水・土曜、祝日は休み。
⑪成長・復興、七五三の願い!熊本・阿蘇神社
熊本地震で被災した熊本県阿蘇市の阿蘇神社に、七五三の子ども連れの家族らが参拝に訪れています。例年、おはらいや祝詞(のりと)を受ける拝殿は全壊して解体中のため、地震後に造られた仮拝殿で成長を祈願しました。
隣の同県高森町から3歳の長男三森海翔(かいと)君を連れて来た父健史さん(32)は、子どもたちの祈願にはいつも阿蘇神社を訪れるそうです。「今回もここで出来てよかった。少しでも早く復興してもらいたい」。
⑫貼り紙は地震の生き証人!熊本の司書ら、集めて次世代へ
熊本地震の被災地で図書館司書らが「地震の記録」となる資料の収集に奔走しています。本や雑誌だけでなく、捨ててしまいがちな避難所の貼り紙やチラシも保存する。次の災害に備えて「生きた経験」を伝え、生かすためです。
震度7が2度襲った熊本県益城町。10月に再開した町図書館に「地震の記録」の展示コーナーができました。「トイレそうじのお手伝いをしてくださる方 大歓迎」「ガソリンあり タバコ注意」「食事は腹八分目に」――。避難所にあった貼り紙からは、感染症防止のために必要な仮設トイレのそうじの手が足りなかったり、不案内な場所での喫煙で危険な状況が生じたり、栄養が偏りがちな食事で体調を崩したりといった課題が見えてきます。
全国から届いた絵手紙や折り紙、芸能人らがうちわや段ボールに走り書きした激励の言葉も壁一面に展示。子どもや高齢者向けの行事案内、避難所運営のノウハウを書いた書類もあります。支援物資のトイレットペーパーなど被災当時の状況を伝える物も並びます。
収集の中心となった司書西村まみさん(50)は「イベントの内容を見れば、どの避難所にどんな世代の人が多く集まったかも見える」。過去の災害の資料と照らし合わせると、当時と全く同じ形式や文言の貼り紙もありました。「保存することで次の災害に生かせる」そうです。
4月の地震で館内には14万冊の蔵書が散乱し、照明も落下。自宅が大規模半壊した西村さんは、車中や避難所で過ごしながら、本を片付けに通いました。
5月上旬、様子を見に訪れたくまもと森都心プラザ図書館(熊本市)の河瀬裕子館長(42)が司書たちに「今やれるのは記録を集めること」と呼びかけました。図書館の役割は歴史や教訓を伝えて後世に生かすこと。郷土資料担当の西村さんは「町の重要な歴史に立ち会っている今、自分の使命はこれだと感じた」。司書9人がすぐに、自ら身を寄せる避難所のチラシなどを持ち寄ることから始めました。
めまぐるしく状況が変わる中、資料や貼り紙はすぐに捨てられています。「いま集めないと記録が失われる」との思いを強くしました。紙をごみ箱に入れる職員の手を止めて「ください」と言うことも。避難所や学校に段ボール箱を置き、被災者にも提供を求めました。
上書き更新される役場のホームページは毎日、印刷して保存。「いつ、どんな情報が町民に知らされたか検証できる」と考えました。数千点が集まり、分類や整理を進めています。
呼びかけた河瀬さんには「司書たちのつらい被災体験を呼び覚ますのでは」とためらいもありましたが、西村さんは「資料整理をしている時は生活の厳しい現実を少し横に置き、大切な仕事をしているという気持ちで没頭できた」と振り返ります。
河瀬さんは自身の図書館でも資料収集を進め、6~8月には東日本大震災や中越地震、阪神・淡路大震災で被災した図書館などを訪ねてノウハウを学びました。「他の図書館や大学ともつながり、もっと多くの物を残したい」と話しています。
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「震災文庫」阪神大震災が先駆け
地震に関する資料の収集・整理は、1995年1月の阪神・淡路大震災を経験した神戸大学の「震災文庫」が先駆けです。同年5月ごろから職員らが「被災地の大学の責任」と考え、手探りで文献や報道資料などを集め始めました。
同年10月に文庫を開設。これまでに集めた5万5千点のうち復興計画や自治会の資料は「行政」、提言は「市民生活」など独自の分類で検索しやすくしました。利用者の半数は学外からで、海外の研究者も訪れています。
11年3月の東日本大震災で被災した仙台市民図書館では5月ごろ、神戸の取り組みを知る職員が文献などを集め始めました。翌年2月に書架の一つを「3・11震災文庫」に。現在7千点の文献のほか、チラシなどの資料を収蔵。宮城、岩手、福島県で同じように動いた図書館と年に1度ほど情報交換会をしています。
各地で図書館司書らが集めた資料の一部はデータ化され、国会図書館のサイト「ひなぎく」から約344万件が検索できます。
ただ、多くの図書館は専任職員を置けず、収集や整理の手が足りていません。
04年の中越地震の資料3万5千点を収蔵する新潟県の長岡市立中央図書館は地震後、市の復興計画の中に取り組みを位置づけました。県の復興基金でスタッフを雇い、全小中学校や公民館を訪れて資料を収集。保管倉庫も借り上げました。同図書館の田中洋史さん(44)は「直後の生々しい記録は災害という『今』の問題に役立つ。収集の重要性を市全体で認識できた」と話しています。
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2.ここ一週間の地震
2016/11/17 12:03 17日 12:00頃 奄美大島近海 1
2016/11/17 11:04 17日 11:00頃 熊本県熊本地方 1
2016/11/17 07:42 17日 07:38頃 山梨県東部・富士五湖 1
2016/11/17 01:52 17日 01:49頃 徳島県南部 1
2016/11/17 01:06 17日 01:02頃 千葉県北西部 2
2016/11/16 23:25 16日 23:22頃 鳥取県中部 1
2016/11/16 18:58 16日 18:55頃 宮城県沖 2
2016/11/16 17:20 16日 17:17頃 鳥取県中部 2
2016/11/16 15:23 16日 15:19頃 鳥取県中部 1
2016/11/16 11:28 16日 11:24頃 鳥取県中部 2
2016/11/15 23:30 15日 23:27頃 山梨県東部・富士五湖 1
2016/11/15 22:50 15日 22:47頃 釧路地方中南部 2
2016/11/15 22:44 15日 22:41頃 熊本県熊本地方 1
2016/11/15 19:43 15日 19:36頃 釧路地方中南部 1
2016/11/15 17:48 15日 17:44頃 熊本県熊本地方 2
2016/11/15 17:33 15日 17:30頃 熊本県熊本地方 2
2016/11/15 10:57 15日 10:54頃 熊本県熊本地方 1
2016/11/15 08:18 15日 08:15頃 鳥取県中部 1
2016/11/15 01:49 15日 01:46頃 石川県能登地方 2
2016/11/15 01:19 15日 01:15頃 茨城県沖 3
2016/11/15 00:21 15日 00:16頃 和歌山県北部 1
2016/11/14 23:55 14日 23:52頃 宮城県北部 1
2016/11/14 02:51 14日 02:48頃 熊本県熊本地方 1
2016/11/13 23:05 13日 23:02頃 福島県浜通り 1
2016/11/13 06:35 13日 06:32頃 熊本県熊本地方 2
2016/11/13 04:56 13日 04:49頃 熊本県熊本地方 1
2016/11/13 01:36 13日 01:33頃 熊本県阿蘇地方 1
2016/11/13 00:49 13日 00:46頃 宮城県沖 1
2016/11/12 23:40 12日 23:37頃 長野県北部 1
2016/11/12 21:23 12日 21:19頃 神奈川県西部 2
2016/11/12 16:04 12日 16:01頃 宮城県沖 1
2016/11/12 09:34 12日 09:30頃 トカラ列島近海 1
2016/11/12 07:30 12日 07:25頃 与那国島近海 2
2016/11/12 06:53 12日 06:43頃 宮城県沖 4
2016/11/12 06:48 12日 06:43頃 宮城県沖 4
2016/11/12 02:58 12日 02:55頃 熊本県熊本地方 2
2016/11/12 02:45 12日 02:41頃 栃木県南部 2
2016/11/11 22:10 11日 22:07頃 宮城県沖 1
2016/11/11 13:59 11日 13:54頃 伊勢湾 1
2016/11/11 10:16 11日 10:12頃 熊本県熊本地方 4
2016/11/11 01:02 11日 00:59頃 鳥取県中部 1
2016/11/11 00:50 11日 00:44頃 薩摩半島西方沖 1
2016/11/11 00:15 11日 00:09頃 トカラ列島近海 1
2016/11/10 17:52 10日 17:49頃 大隅半島東方沖 1
2016/11/10 11:34 10日 11:31頃 長野県中部 1
2016/11/10 07:32 10日 07:28頃 宮城県沖 1
2016/11/10 07:26 10日 07:20頃 宮城県沖 2
2016/11/10 03:59 10日 03:55頃 埼玉県南部 1
2016/11/10 00:11 10日 00:08頃 熊本県熊本地方 1
(続く)