1973年、スウェーデンのABBAはアルバム『リング・リング』でデビューしたが、アメリカではほとんど注目されることはなかった。状況が変わったのは1974年、2作目のアルバム『恋のウォータールー』によってである。タイトル曲「恋のウォータールー」と「ハニー、ハニー」はともに全米トップ40入りを果たし、アルバム自体も全米アルバム・チャート(トップ200)にランクインした。
3作目となるセルフタイトル・アルバム『ABBA』では、アメリカでの勢いがさらに加速し、「SOS」「アイ・ドゥ・アイ・ドゥ」「マンマ・ミーア」の3曲がトップ40入りを果たした。ストックホルム出身の4人組は、アメリカのみならず世界的にも本格的に成功の波に乗り始めたのである。この大きな転機となったアルバムについて、オーストラリアのシンガーソングライター、ギタリスト、そして作家であるジョー・マテラが、Sonicbond Publishingから刊行された著書『The Making of ABBA: The Story Behind the Band’s 1975 Breakthrough Album(ABBA誕生の舞台裏:1975年のブレイクスルー・アルバムの物語)』で詳しく掘り下げている。
*ジョー・マテラ
『The Making of ABBA: The Story Behind the Band’s 1975 Breakthrough Album』
Sonicbond Publishing(ペーパーバックおよびデジタル版)
ジョー・マテラの本は、まずバンドの紹介と、彼自身にとってABBAの音楽がどのような影響を与えたかから始まる。
「スウェーデンの4人組、アグネタ・フォルツコグ、ビヨルン・ウルヴァース、ベニー・アンダーソン、アンニ=フリード・リングスタッドは、信頼のおけるスタジオ・ミュージシャンたちとともに、若者から年配層まで幅広く訴えかける音楽を生み出しました。世代の隔たりを超え、時の流れを超えて生き続ける音楽的遺産を確立したのです。
私が1975年の発売時に『ABBA』をアナログ盤で買ったのは10歳のときでした。1960年代の家具の名残で、ターンテーブルが内蔵された両親のラジオグラムで、そのレコードをかけていたのを覚えています。私は毎日のようにそのアルバムを聴いていました。音楽は私の日常生活の一部となり、ポップミュージックの素晴らしい楽曲への深い愛情を確固たるものにする、極めて重要な存在になったのです。
『ABBA』というアルバムは、私をまったく新しいポップミュージックの世界へと導いてくれました。それは当時の流行とは明らかに異なる、独自性に富んだ世界でした。多彩なスタイルを持つこのアルバムによって、ABBAがいなければ出会うことのなかったであろう音楽的嗜好へと、私の心と耳は開かれていったのです。
その後、人生のさまざまな段階を経て、音楽の好みが変化し進化していく中でも、ABBAの音楽、そして特にこのアルバムは、常に変わらぬ存在であり、生涯のお気に入りであり続けています」。
「ABBAのアルバムは、私をまったく新しいポップミュージックの世界へと導いてくれました。人生のさまざまな段階を経て音楽的嗜好が変化しても、ABBA、そして特にこのアルバムは、常に変わらぬ存在であり、生涯のお気に入りであり続けています」。
― ジョー・マテラ
アルバムからの全米第1弾シングルは「SOS」だった。マテラは次のように語っている。
「ザ・フーのギタリスト、ピート・タウンゼントは、これを“史上最高のポップソング”だと述べていますが、私も同意します。私の意見では、この曲は“完璧なポップソングを書くための教科書”です」。
彼はさらにこう指摘する。
「『SOS』という曲は、曲名とグループ名の両方が回文(前から読んでも後ろから読んでも同じ)であるという条件のもと、アメリカ、オーストラリア、イギリスのすべてでチャート入りした唯一の楽曲です」。
加えて、SOSは一般に Save Our Ship(救難信号)の略語とされ、ABBAは Agnetha, Björn, Benny, Anni-Frid の頭文字から成るアクロニムである。
全米第2弾シングル「アイ・ドゥ・アイ・ドゥ」は、1976年のバレンタインデーにチャート初登場を果たした。マテラはこの曲を次のように描写している。
「なめらかなサックスが三連符の上昇フレーズを吹き鳴らすと同時に、ノスタルジアの精神が全体を包み込み、このキャバレー風ナンバーの雰囲気とテーマを形作っています。『アイ・ドゥ・アイ・ドゥ』のサウンドは、より伝統的で懐かしさのあるトーンを持っていたため、年配のリスナー層に強く響きました」。
「アイ・ドゥ、アイ・ドゥ」のアメリカ盤シングルのB面は「バング・ア・ブーメラン」で、マテラはこれを「キャッチーで、すぐに口ずさめるフレーズを持つ、即効性のある楽曲」と評している。
彼はまた、このアルバムに収録された10曲すべてが、世界のどこかでシングルのB面として使われ、あるいは次作『アライヴァル』のシングルのB面になっていることを指摘する。さらに、世界的には『ABBA』から7曲ものA面シングルが生まれており、その点でこの作品は、後の時代に登場するマイケル・ジャクソンの『スリラー』と同等の存在感を持つと述べている。
全米第3弾シングルは、後に大成功を収めたミュージカル、映画、そしてその続編のタイトルにもなった「マンマ・ミーア」である。マテラは次のように明かしている。
「明るく高揚感に満ちた、このフック重視のポップ・アンセムは、『ABBA』のために最後に録音された曲でした。ビヨルンは、ヴァースとコーラスが別々の時期に書かれ、後にひとつの楽曲として織り合わされたと語っています」。
「ヘイ・ヘイ・ヘレン」は、このアルバムの多様性を示す一例である。マテラはこう述べている。
「リバーブがほのかにかかった踏み鳴らすようなドラムビートと、アンセミックなコーラスは、1970年代のグラムロックを強く想起させるサウンドです」。
このABBAの楽曲は、当時スージー・クアトロが展開していた音楽、そして次の10年にジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツが行うことになるスタイルを思わせる。
その後のABBAの方向性により近いのが「アイヴ・ビーン・ウェイティング・フォー・ユー」だと、マテラは語る。
「切実な歌詞を、支えとなる和声によって余すところなく表現した、天使のようなバラードです。アグネタのヴォーカルには、計り知れない感情の深さと心が宿っています。コーラスが入った瞬間、それはまるで天上の合唱のようです」。



