2月21日水曜日
皆様おはようございます。体調はGOODですか?うがい、手洗い、消毒を欠かさずになさっていますか?
今日は「日刊新聞創刊の日」「国際母語デー」「漱石の日」です。
まず「日刊新聞創刊の日」から。
なぜ2月21日が「日刊新聞創刊の日」なのかというと、1872(明治5)年2月21日に現存する中では日本初の日刊新聞『東京日日新聞(とうきょうにちにちしんぶん』(現在の毎日新聞)が創刊されたことが由来となっています。
実際に日本初の日刊新聞は1870(明治3)年に創刊された「横浜毎日新聞」となりますが、他者に吸収合併されたため、現存する中での最古の新聞は「東京日日新聞」となっています。
そのためか、毎日新聞社では「日刊新聞創刊の日」については「東京で最初の日刊紙」と表現しています。
新聞がこんなにも昔から創刊されいてた事はご存じでしたか?
しかし、世界的に見れば新聞はもっと昔から存在していました。
世界最古の新聞は古代ローマ時代のもので、政治的な出来事から市民の慶弔のお知らせなどのニュースを手書きする掲示板「アクタ・ディウルナ」と呼ばれるものが存在していました。
また、最古の新聞は掲示板でしたが、紙の新聞の最古のものは、中国がまだ唐王朝だった時代の「開元雑報」となり、713年~734年まで発行されました。
政治的なニュースや国内のニュースを日々収集して、手書きで作成されていました。
紙の新聞紙が713年には既に存在していたとは驚きですよね!
読売新聞などの「読売」という言葉。
実は意味があるのを知っていましたか?
江戸時代の頃は「かわら版」と呼ばれる木の板に街中で起きた事件を記して売っていました。
かわら版売りは、かわら版の一部を読んで町民の興味を惹くことにより、かわら版を売っていました。
このことから、かわら版を読んで売る、すなわち現在の「読売」という言葉の語源となったとされています。
チラシやパンフレットなどの紙と違って、新聞の端っこってギザギザしていますよね?
これにはちゃんとした理由があるのです。
毎日発行するために大量に生産されています。
刷られた大量の新聞を一気に裁断する際に、刃先が真っすぐだと綺麗に切ることが難しく、曲がってしまったり切る位置がずれたりしてしまいました。
そこで、刃先をあえてギザギザにする事によって貫通力が増し、大量に重ねられた新聞紙を正確に真っすぐに切ることができるようになりました。
新聞紙のギザギザは試行錯誤を重ねた結果の技術の結晶ともいえるでしょう。
*皆様は毎日「新聞」を読んでいますか?最近はネットニュースで済ませている方が多くなりましたね。
次に「国際母語デー」について。
なぜ2月21日が「国際母語デー」なのかというと、1952年2月21日に当時のパキスタンの一部だったバングラデッシュの首都のダッカでデモ隊と警官隊が衝突したことが由来となっています。
ダッカではバングラデッシュの母語であるベンガル語を公用語として認めるように求め、デモ隊によるデモが行なわれていました。
しかし、デモ隊に対して警官隊が発砲をしたことから死者を出す事態となってしまいました。
このバングラデッシュで発生したデモ隊と警官隊の衝突事件は、後にバングラデッシュが独立する中の重要な出来事の一つとなりました。
「国際母語デー」については国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)によって1999年11月17日 に制定された記念日です。
ユネスコによるとこの日を「言語や文化の多様性、多言語の使用、あらゆる母語の尊重の推進」を目的とした記念日としています。
また、バングラデッシュでは2月21日を「言語運動記念日」としています。
英語圏に住む人にとって日本語の習得難易度は高いものだとされていますが、逆に日本人にとっても英語の文法って分かり辛いですよね。
それでは日本人にとって最も習得しやすい言語は何語かというと、実はお隣の国の韓国語なんです。
韓国語ではハングル文字と呼ばれる独特の文字を使用しますが、母音が10種類と子音が14種類であることから、文字は24種類しかないんです。
その24種類の文字さえ覚えてしまえば、母音と子音の組み合わせでハングル文字が読めるようになります。
また、実は日本語と韓国の文法には似ている部分が多く、単語の並び方まで日本語に共通している部分があります。
日本語や韓国語の起源がそもそも中国語となっていることから、そうした共通点が多いのかもしれませんね。
現代で使われているひらがなといえば特殊なものを除けば48文字というのは常識ですよね。
しかし、実は昔は今よりもずっと多くのひらがなが存在していたって知っていましたか?
そもそも昔の日本にはひらがなというものが存在していませんでした。
「あ」というひらがなの成り立ちが漢字の「安」にあるように、中国から持ち込まれた漢字を崩して作られたのがひらがななんです。
そのため、昔は現在のように決められた48文字のひらがなが無い事から、同じ読み方をする漢字でも、様々な崩し方をしてひらがなとして使っていました。
200文字以上のひらがながあったとされていますが、明治時代以降になってひらがなが整理されるようになり、現在の48文字が残ったのでした。
例えば「お」と「を」は同じ発音ですが違うひらがなですよね。
「お」と「を」のように違う文字なのに発音が同じひらがなが昔はたくさんあったと言えばイメージしやすいでしょうか?
*皆様は「日本語」を大切にしていますか?最近はいろんな若者言葉が出てきて、日本語も進化(退化?)しているなあと感じています。
最後に「漱石の日」について。
なぜ2月21日が「漱石の日」なのかというと、1911年2月21日に文部省が作家・夏目漱石に文部省が博士の称号を贈ると伝えたことが由来となっています。
ところが、夏目漱石は当時の文部省の専門学務局長である福原鐐二郎あてに手紙を出し、文覚博士の称号を辞退しました。
福原鐐二郎に宛てた手紙の中には、辞退した理由について記されていました。
「小生は今日まで、ただの夏目なにがしとして世を渡って参りましたし、これから先もやはり、ただの夏目なにがしで暮らしたい希望を持っております。従って、私は博士の学位を頂きたくないのであります」
つまり、自分はこれまで自分の力で生きてきたから、これからも肩書などに頼らず、自分の力を生きていきたいという旨が書かれているのです。
変わり者で知られていたこともあり、文覚博士の称号を辞退したことも、世間からはパフォーマンスなのではないかとする声も挙がっていたそうです。
手紙の内容から、夏目漱石は自分の人生を自分の足で歩んできた自負やプライドがあったため、文部省の後ろ盾や権威の下で筆を持つということを嫌ったのかもしれませんね。
夏目漱石が千円札の肖像画として選ばれた理由は、ロンドン留学をした功績があったからだとされています。
しかし、夏目漱石はロンドン留学中に発狂したこともあるそうで、留学をきっかけにしてロンドンが大嫌いになってしまったのです。
ロンドン留学は自らが望んだものではなく、文部省の命令によるものでした。
そのため、夏目漱石は英語を満足にしゃべることが出来ず、現地で英語が喋れないことからいじめられてしまったんですね。
その孤独と困窮した生活から夏目漱石は精神を病んでしまい、ついには発狂したという情報が日 本にも伝わったとされています
現代ですら日本人は海外で差別を受けることがあるそうですし、当時の日本人に対する差別は現在のものとは比較にならなかったでしょう。
夏目漱石の作品の中でも「吾輩は猫である」は有名な作品ですが、実はこの猫は熱芽漱石の家に住み着いた猫がモデルになっています。
「吾輩は猫である」の冒頭文が「吾輩は猫である。名前はまだない。」とありますが、実際に夏目漱石が飼っていた猫に名前はなかったのです。
そのため、猫のことをそのまま「ねこ」と呼んでいたそうで、強いて言うなら「ねこ」という名前の猫だったんですね。
その後、猫が死んでしまってからも名前が付けられることがなかったことから、猫のために建てたお墓にも「猫の墓」と書かれていました。
一見すると愛情を注いでなかったように見えるかもしれませんが、お墓を建てたことから猫に愛情を注いでいたことがわかります。
また、猫が死んでしまった時には、その旨を友人に伝えるために死亡通知を送っていたそうです。
*皆様は「夏目漱石」お好きですか?どの作品がお好きですか?いつまでも人気がある作家はすごいですね。
本日もよろしくお願いいたします。
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