9月20日木曜日
皆様おはようございます。あっという間に秋の彼岸入りです。果たして暑さ寒さも彼岸まで、となるのでしょうか?
今日は「秋のお彼岸入り」「苗字の日」「クイックルの日」「遺品整理の日」です。
まず「秋のお彼岸の日」から。
2024年の「彼岸⼊り」については9⽉19⽇になります。
9⽉19⽇を起点として⼀週間が「お彼岸」となり、9⽉22⽇の秋分の⽇が「彼岸の中⽇」となり、9⽉25⽇が「彼岸明け」となります。
現在の⽇本では「お彼岸」という⽂化⾃体が忘れられつつあり「そもそもお彼岸って何︖」という⼈も多いのかと思いますので、由来も含めて解説します。
お彼岸というものは仏教⽤語であって「煩悩に満ちた現世である此岸(しがん)を離れて修⾏を積むことによって煩悩を脱し、悟りの境地に達した世界(彼の岸)に到達する」という意味が込められた⾔葉となります。
仏教の教えでは⻄の⽅⾓については「⻄⽅浄⼟」と呼ばれていて、⻄は阿弥陀様がいる⽅⾓であり極楽浄⼟の世界があるとされています。
そのため、仏教では⻄の⽅向に向かってお祈りをするんですね。
そして、私たちが住んでいる現実世界(此岸)と仏様の住んでいる世界(彼岸)が最も近くなる時期が春分や秋分にあたるため、お彼岸には仏様(ご先祖様)にお祈りするようになったのです。
これがお彼岸にお墓参りをしてご先祖様にお祈りを捧げるようになった由来となります。
⽇本では古来から、春分や秋分の⽇には太陽がほぼ真東から昇って真⻄に沈むことから、現実世界(此岸)と仏様の世界(彼岸)の距離が最も近くなって、通じやすくなっていると考えられています。
お彼岸にお供えをして⾷べるものといえば「ぼたもち」や「おはぎ」を想像する⼈が多いかと思います。
しかし、お彼岸は春と秋に2回あるため、どちらで「ぼたもち」を⾷べて、どちらで「おはぎ」を⾷べるのか疑問に思う⽅も多いのではないでしょうか。
そもそも「おはぎ」も「ぼたもち」ももち⽶を蒸して柔らかくしてあんこを包んだものであり、同じ⾷べ物のことなのです。
なぜ同じ⾷べ物なのにもかかわらずに名前が違うのかというと、お彼岸の季節に関係があります。
春は牡丹の季節であることから春のお彼岸には「牡丹餅=ぼたもち」をお供えし、萩の季節である秋のお彼岸には「お萩=おはぎ」をお供えすることになっているんですね。
ちなみに、お彼岸に「ぼたもち」や「おはぎ」を⾷べる理由は、古来より⼩⾖は邪気を払うといい伝えられていることと、もち⽶とあんこの2つを合わせることによって先祖と⼼を合わせるという意味合いが込められています。
彼岸花についてはその鮮やかな⾚⾊が⾎や地獄を連想させることから、別名「死⼈花(しびとばな)」や「地獄花(じごくばな)」と呼ばれています。
そして、その彼岸花の球根には毒が含まれているため、誤って⾷べてしまった場合には吐き気や下痢といった症状に⾒舞われて、最悪の場合は神経が⿇痺を起して死んでしまうこともあるそうです。
そのため、モグラやネズミなどの害獣が⽥畑に近づかないように、⽥畑の周囲に彼岸花を植えることもあったそうです。
しかし、彼岸花を⾮常⾷として⾷べていた時期もあったそうです。
これは、球根に含まれている毒が⽔溶性であるため、⽔に⻑時間つけておくことによって毒抜きが出来るためなんですね。
昔の⼈は毒抜きをしてから彼岸花に含まれているでんぷんを団⼦の材料にして⾷べていたそうです。
*お彼岸とは、春分の日、秋分の日を中日とする前後7日間のことです。この時期、仏教では極楽浄土に想いをはせ善行を積むべき、大切な時期とされています。一般的には、お寺の法要に参加したり、お墓参りに行ったりして、先祖や故人を偲び供養します。また四十九日後はじめてのお彼岸は初彼岸といいます。
秋のお彼岸は、秋分の日を中日(ちゅうにち)とし、その前後7日間がお彼岸の期間となります。2023年の秋分の日は9月23日(土)ですので、お彼岸の期間は9月20日から26日となります。
彼岸入り 9月20日(水)
秋分の日 9月23日(土・祝日)
彼岸明け 9月26日(火)
◆お彼岸とは?お彼岸とは、春分の日、秋分の日を中日とする前後7日間のことです。この時期に営む仏事も総称して彼岸ということもあります。仏教用語では、サンスクリット語で「波羅蜜多」を訳した「到彼岸」から出た言葉です。人々が暮らすこの世「此岸(しがん)」に対し、向こう岸の世界、迷いがなく、生死を超越した悟りの境地に到達するという意味です。
お彼岸の期間は、浄土へ生まれ変わりたいと願い、布施(ふせ)、持戒(じかい)、忍辱(にんにく)、精進(しょうじん)、禅定(ぜんじょう)、智慧(ちえ)という正しい6つの行いを実践する時とされています。
お盆が先祖の霊がこの世に戻ってくるのに対し、お彼岸はこの世から浄土へ近づくために修行をする期間です。ある意味、極楽浄土にあこがれる期間と考えるとわかりやすいかもしれません。
◆なぜ春分の日と秋分の日がお彼岸に?春分の日と秋分の日は、それぞれお彼岸の中日にあたります。
この日は太陽が真東から昇り、真西に沈みます。真西というのは、阿弥陀如来の西方極楽浄土があるとされています。太陽が極楽浄土に向かうと考えられたことから、お彼岸になったという説が一般的です。
浄土宗や浄土真宗の根本経典である浄土三部経のひとつ、『観無量寿経』には、極楽浄土を見るための修行のひとつとして、日想という修行があります。沈む太陽に向かって、西方浄土を思い浮かべて瞑想する方法です。
あいにく、この経典そのものには「お彼岸の中日に日想をする」とは書かれていません。しかし、中国の浄土教の高僧、善導が記した『観無量寿経』の注釈書に、春分、秋分の日の日想について、「阿弥陀仏の国は日没のところ(真西)にある」という記述があり、これが日本のお彼岸の基になったといわれています。
◆お彼岸の中日、春分の日と秋分の日は、誰が、どうやって決める?
◎法律で「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」と定められた秋分の日
春分の日、秋分の日は、「国民の祝日に関する法律」によって祝日と定められています。
その目的については、春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」、そして秋分の日は「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」と定められています。しかし、これらの祝日は法律では具体的に月日が明記されておらず、それぞれ「春分日」、「秋分日」となっています。
◎正しい秋分の日がわかるのはいつ?
毎年、春分の日は3月20日から21日ごろ、秋分の日は9月22日から23日ごろになりますが、正確な月日は、国立天文台によって決められています。
毎年2月1日の官報(行政機関の休日にはその翌日)に、翌年の暦を日本の公式の暦「暦要項(れきようこう)」にまとめて記すことで、はじめて正確な日付がわかります。
◎春分の日と秋分の日の定め方
太陽の移動する黄道と、地球の赤道を延長した天の赤道の交わる点を、春分点と秋分点といいます。太陽がこれらの点を通過する時を、春分、秋分、そしてそれらを含む日を、「春分日」「秋分日」といいます。さらにこれらの日が、国民の祝日に関する法律によって、それぞれ春分の日と秋分の日になるというわけです。
なお、春分の日、秋分の日はともに、昼の長さと夜の長さが同じといわれていますが、正確には昼の方が若干、長いようです。これら春分の日、秋分の日を中日にして、前後3日間が春と秋のお彼岸になります。
◆どうしてお彼岸の日にお墓参りをするのか?
春分、秋分は、季節の節目を表す二十四節気のひとつです。お墓参りをはじめ、お彼岸の時期に仏事ごとが多くなる理由については、主に3つあります。昼と夜の長さが等しく仏教の中道の思想に合うから、天地の諸神が交代する日だから、そして、太陽が浄土のある真西に沈むからという説です。
◎お彼岸は中道思想に合うから
ひとつは、中道を大切にするという考えです。仏教の中道というのは、偏りを持たないということです。執着せず、正しい判断で行動するといった意味があります。
春分の日、秋分の日は、昼と夜の長さが同じということから、中道の思想にも合うため、この日にお墓参りや法要などを行うという説です。
◎お彼岸は八王日に当たるから
次に、八王日に善行を行うとよいという考えがあります。
八王日とは 立春、春分、立夏、夏至、立秋、秋分、立冬、冬至のことを指します。季節の変わり目となるこれらの日は、天地の諸神・陰陽が交代する日とされていました。この日、閻魔大王をはじめ神々が世を巡回し、人々の行いを記録すると考えられているため、善行を積むようにという説です。
◎西方浄土に生まれ変わるための行いをするのにふさわしい日だから
そして、春分と秋分の日は、太陽が真東から昇り、真西に沈むからという説。
先述のように、阿弥陀如来の極楽浄土は真西の日が沈むところにあるということから、この日、多くの人に阿弥陀如来がいるところを正しく示して、浄土に生まれ変わるための行いをしましょうというものです。
これらの仏教的な意味づけのある説のほかに、もともと日本では季節の変わり目には、豊穣を祈るさまざまな信仰がありました。これらが融合することで、お彼岸が死者を供養する日という意味を持つようになったと考えられています。
また、春と秋の過ごしやすい季節であるため、お寺などで人が集まる行事が行ないやすかったという説もあります。
◆日本でのお彼岸の歴史
お彼岸に仏教的な行事を行うのは、世界中でも日本だけの風習といわれています。
平安時代初期から朝廷で行なわれ、江戸時代に年中行事化されたという歴史があります。
平安時代に記された歴史書『日本後記』によると、806年に彼岸会が行われたという記録があるようです。また聖徳太子の時代からともいわれています。このほか『蜻蛉日記』や『源氏物語』、『更級日記』など平安時代を代表する、日記や物語にもお彼岸についての記述があります。
一方、お彼岸の時期にお墓参りに行くという習わしがはじまったのは、江戸時代の中期以降といわれています。気候もよく、江戸っ子たちにとっては格好の娯楽としての意味合いもありました。またこのころ、六阿弥陀参りといって、彼岸の時期に6ヵ所の阿弥陀仏をお参りするということも流行ったそうです。
地域によっては、仏教とは直接関係のない行事も行なわれていました。
春分の日、秋分の日、もしくはお彼岸期間中の1日を選び、午前中は東に、午後は西に歩くことで、太陽のお供をするという「日迎え」「日送り」。お彼岸の時期に山に登る「彼岸籠り」。また、お盆と同様に、火を焚いて先祖の霊を招くという習わしもあったそうです。
なお、仏教行事とはやや異なるかもしれませんが、中国では清の時代、王侯貴族が春分と秋分の時期に、始祖や歴代君主の祠廟の祭祀を行っていたようです。先祖供養という意味合いでは、必ずしも日本独特の行事とはいえないかもしれません。
◆年忌法要と比べお彼岸のお布施は割安?お彼岸のお布施の目安お彼岸の時期にお寺で行なわれる法要を彼岸会といいます。この「彼岸会」を一般に親しみやすく呼びならわしたのが「お彼岸」ともいわれています。
このお彼岸の法要に出席する、また菩提寺などにお墓参りをする際には、お寺に対してお布施を包むのが通例です。この時、お布施の目安は、各家庭とお寺との関係にもよりますが、一般的にはおよそ3,000円から1万円程度といわれています。
葬儀や新盆、一周忌、三回忌といった年忌法要などと異なり、お彼岸の法要は合同法要になります。そのため、個別に行う法要よりは、やや低めといわれています。
また、個別に法要を営むこともできます。この場合、お布施の目安は3万円から5万円程度となります。お寺の都合もありますので事前に希望の日程を伝え、日を決める必要があります。
このほか、お墓に建てる卒塔婆を依頼する場合、塔婆料として3,000円から5,000円を包みます。
また、菩提寺がないという場合には、お坊さんの紹介サービスなどもあります。
◆初彼岸とは?
また、故人が亡くなって、四十九日を過ぎてはじめて迎えるお盆を新盆、初盆というのに対し、四十九日後はじめて迎えるお彼岸を初彼岸といいます。
お墓参りに行き、仏壇にお供えをして故人を偲ぶ、またこの時期に菩提寺などで行なわれるお彼岸の法要に参加するなどというように、新盆、初盆のように特定の故人のために大々的に法要を営むというよりは、身内の中での行事という傾向があるようです。
◆お彼岸のお供え物は?
お彼岸のお供えといえば、おはぎとぼた餅が定番です。
秋は萩の花が咲くことから秋のお彼岸にのお供えにはおはぎ、春は牡丹の花が咲くことから、春のお彼岸のお供えにはぼた餅、という説が一般的です。
しかし、そもそもおはぎとぼた餅の違いやその名前の由来についても、あまり明確ではありません。
例えば、秋彼岸のお供えのおはぎは、小さく、しとやかな萩(はぎ)の花をイメージして、上品で小ぶりのもの。一方、大きくて豪華な牡丹の花をイメージしたぼた餅はおはぎより大きいという具合。このほか、材料となるもち米とうるち米の違い、突き方の違い、つぶあんとこしあんの違いなど諸説あります。
同様に、おはぎやぼた餅は、夏には夜舟、冬には北窓と呼ばれることもあります。これはいずれもその作り方によるものです。
餅を搗くわけではなく、蒸したお米をすりこ木でつぶして作ります。そのため、夜の舟のように、「いつ着いたかわからない」とうことから、「着き知らず」、そして「搗き知らず」となります。
一方、「搗き知らず」から「つき知らず」となって、「月知らず」と変化したのが、北窓です。北の窓から月が見えることはないので、そこからこの名称が生まれたというわけです。
◆お彼岸の時期に適した供花とは?
お彼岸の時期に、お墓やお仏壇にお供えする花には、菊やカーネーションなどがあります。白い花はもちろん、黄、紫、赤、ピンクといった明るい色合いの花も選ばれています。
選ぶ基準としては、季節の花や、故人が好きだった花、または故人をイメージさせるような花がふさわしいといえるでしょう。
しばしば、バラなどとげのある花や、香りの強すぎる花、毒のある花などは、仏花としてお供えするのにはふさわしくないといわれる場合もありますが、最近はあまり気にする方も少なくなったようです。
また、生花店でも、お彼岸の時期にはお供え用に仏花のアレンジメントが多数用意されています。色合いや花の種類なども豊富なため、ふさわしいものが選べます。さらに、花束タイプのものだけでなく、バスケットのものも多数あります。
インターネットでの注文を受け付けているところもあります。予算とイメージに合わせて選ぶとよいでしょう。
◆お彼岸とお盆を比べてみると?
今もなお、私たちの日々の暮らしの中で息づいている仏教の行事には、春と秋のお彼岸のほか、お盆もあります。
お彼岸とお盆の意味、やることなど簡単に比べてみました。
◎お彼岸とお盆の比較
お彼岸:仏教徒として正しく過ごしながら、ご先祖様に想いを馳せる期間
お盆:ご先祖様が帰ってくる期間
◎年間のお彼岸とお盆の回数
お彼岸:年に2回(春・秋)
お盆:年に1回(夏)
*ただし、お盆は新暦のお盆、月遅れのお盆、旧歴のお盆と地域によって時期が異なる
◎お彼岸とお盆でやること
お彼岸:お仏壇・仏具の掃除、彼岸会、お墓参り
お盆:精霊棚を飾る、迎え火・送り火を焚く、施餓鬼会・盂蘭盆会、お墓参り
◆まとめ
春と秋のお彼岸は、お盆と並んで故人や先祖を想う、大切な時期です。一年の中でも気候のよい、過ごしやすい時期でもありますので、お墓参りなどに行かれてはいかがでしょうか? お寺での法要に参加してみるのも、いいかもしれません。
また大切な方を亡くされてはじめてのお彼岸という場合、この時期にお墓やお仏壇などを検討する方もいらっしゃいます。
次に「苗字の日」について。
なぜ9月19日が「苗字の日」なのかというと、1870年9月19日に戸籍整理のため、太政官布告により平民も苗字を名乗ることが許されたことが由来となっています。
しかし、それまでは名前しかないのが普通だったため、苗字を名乗っても良いと言われても当時の日本人にはあまりピンときませんでした。
現在でも急に明日からミドルネームを名乗れといわれても困惑してしまいますよね。
更に、当時の日本では明治政府があまり信用されていなかったため、苗字を名乗ることによって新たに税金が課せられるのではないかと警戒する国民が多かったそうです。
そもそも国民にとっては苗字を名乗ったところであまりメリットが無いですし、無理に苗字を名乗ろうとする人がそんなにいなかったのです。
このように日本政府としては戸籍整理を進めたいのにも関わらずになかなか苗字を名乗ろうとしなかったことから、1875年2月13日に全ての国民が姓を名乗ることが義務付けられることとなりました。
これが明治政府による「平民苗字必称義務令」というものになります。
これ以降は義務化したことから苗字を名乗る人がだんだんと増えていき、現在のように日本国民全員が苗字を持っているのが当たり前な時代となっていきました。
それまでは貴族や武士しか名乗れなかった苗字がだんだんと増えていくのは当時の日本国民にとってはとても不思議だったのではないでしょうか。
日本に現存している苗字の数がどれぐらいあるかを知っていますか?
現在日本で名乗られている苗字の数は10万を超えているそうです。
しかし、そんな苗字も将来的にはだんだんと数が減っていってしまうという事を知っていましたか?
当然ですが結婚をすると大半の人が苗字をどちらか一方に合わせることになり、苗字を変えた方が一人っ子だった場合は後継ぎがいなくなってしまうため、その苗字が無くなってしまうことになります。
また、結婚した後にも子供が生まれなくて後継ぎがいなくなってしまった場合にも苗字の数は減少してしまいますよね。
ここ数十年単位では苗字の減少傾向はみられないそうですが、2050年前後を境にして苗字の数が減少を始めるとされています。
特にかっこよくて珍しい苗字が減ってしまうのはなんだか寂しい気がしますよね。
世の中にはたくさんの珍しい苗字がありますが、その中でも特に珍しい苗字を紹介します。
まずは「雲母」という苗字なのですが、これで「きらら」と読むそうです。
北海道にある「雲母(うんも)」という名前の鉱石がキラキラ光ることから「きらら」と呼ばれるようになったとされています。
また、「赤穂事件」で有名な「吉良上野介」の「吉良」が由来ともいわれています。
また、女優の綾瀬はるかさんの本名は「蓼丸綾」となり、「蓼丸(たでまる)」という非常に珍しい苗字となっています。
「蓼丸」という苗字に関しては広島県に少数しか存在していないそうで、「蓼」とは原野などに建っている建物が語源となっている言葉のようです。
*皆様の「苗字」はどうですか?珍しいですか?鈴木、佐藤のように多いですか?いくら素晴らしい苗字でも明治の時代につけたものなので由緒の根拠がない苗字も多いようですよ。
次に「クイックルの日」について。
なぜ9月19日が「クイックルの日」なのかというと、9月19日という日付が「ク(9)イ(1)ック(9)ル」という語呂あわせであることが由来となっています。
「クイックルの日」については花王株式会社によって制定された記念日となっています。
花王から販売されている手軽にいつでも掃除ができるクイックルを使って、家族みんなで家をきれいにしてもらいたいとの願いから「クイックルの日」が制定されました。
クイックルワイパーは2017年現在では掃除に欠かせないアイテムの一つとなっていますが、実は販売が始まったのは平成に入ってからのことです。
1994年に住居用ワイパーとして「クイックルワイパー」とその取り換え用のシートが発売されて、何度も改良が繰り返されて現在のクイックルワイパーとなったのです。
2017年現在では取り換えシートに「立体吸着ウエットシート」や「ワックスコートシート」などの種類のものが発売されていて、用途に応じて掃除もさらにしやすくなりました。
天日干しした布団を更にきれいにしたいとき、布団を布団たたきでバンバン叩きたくなっちゃいますよね。
しかし、実は最近では干した布団を布団たたきでバンバン叩くことはNGだとされているんです。
布団を叩くことによって布団の中のダニや細かいごみがとれてるような気分になりますが、あまり効果は無いようです。
布団を叩くとダニの死骸が粉々になって布団の中に残るだけで、実はあまり布団の外へ出ていかないのです。
更に、布団の繊維が壊れてしまい寿命が短くなってしまうことからむしろ布団たたきは使わない方が良いそうです。
干した後の布団は軽く手でホコリを払うようにするだけで、乱暴にたたかないようにしましょう。
油汚れは一度こびりついてしまうとキレイにするのに本当に苦労しますよね。
最近はミカンの香りの洗剤などをよく見かけますが、実はミカン自体を使って油汚れをピカピカにすることができるのです。
食べ終わったミカンの皮を使ってこすってみると油汚れがよく落ちるのがよくわかるかと思います。
どうして油汚れが落ちやすくなるのかというと、ミカンの皮にクエン酸が含まれていることが関係しています。
クエン酸には油を分解する作用があることから、ミカンの皮が油汚れの掃除には適しているのです。
冬にはミカンを食べることも多いので、大掃除の時のしつこい油汚れでぜひ試してみてくださいね。
*皆様はこめまに「お掃除」していますか?今は業務用の掃除道具も買えるので、便利な時代になりましたね。
最後に「遺品整理の日」について。
なぜ9月19日が「遺品整理の日」なのかというと、9月19日が遺品の整理をするということで「クイック(919)」の語呂合わせであることが由来となっています。
「遺品整理の日」については大阪府箕面市に本社を置く株式会社アヴァックによって制定された記念日となります。
株式会社アヴァックは梱包事業、給食事業、生花事業、産直市場など、さまざまな事業を展開するとなります。
秋のお彼岸が9月であることから、祖先を供養するのと共に、個人の遺品を整理するきっかけの日とするが「遺品整理の日」ということですね。
また、遺品の整理をすることによって、残された遺族の方々に新たな一歩を踏み出してほしいという願いも込められているそうです。
残された遺族にとって遺品とは亡くなられた方との思い出が詰まったものも多いため、なかなか整理が進まないものですよね。
いつまでも踏ん切りがつかないという方も「遺品整理の日」をきっかけにして、ぜひ遺品の整理をしてみてくださいね。
掃除機のコードを伸ばしていると赤と黄のテープが途中から出てきますよね。
赤色のテープについてはそれ以上コードを伸ばすと故障の恐れがあるという注意喚起だとご存じの方も多いはずです。
しかし、黄色テープに関してはあまり意味を知っている方がおらず、多くの人は「もうそろそろコードを伸ばせなくなる」という注意だと思っている方が多いんですね。
実はこれは間違いであり、黄色のテープの意味は「コードをここまで引き延ばして使ってください」という意味なんです。
コードを収納したまま使ってしまうと、コードが掃除機内で発熱してしまうことから、掃除機に熱がこもってしまうのです。
掃除機の廃熱効率のことを考えると、コードを黄色のテープの部分まで引き延ばして使うのがベストなんですね。
掃除機をかけたり埃のはき掃除などをする時には、窓を開け放っているという人も多いはずです。
しかし、実はそうした埃の掃除をする時にはかえって窓を開けてはいけないって知っていましたか?
確かに風通しはよくなるのですが、風が通り抜けることによって落ちていた埃やゴミが舞い上がってしまうのです。
そのため、せっかく掃除機をかけたりはき掃除をしていても、空中に埃やゴミがあるせいで掃除の効果が薄れてしまうんですね。
掃除の時は基本的には窓を閉めるようにして、部屋の空気を入れ替える場合は掃除が終わった後などにした方が良いでしょう。
*皆様は「遺品整理」をなさったことがありますか?僕は親父のお葬式の時「形見分け」をしました。なかなか悲しいものですね。
本日もよろしくお願いいたします。
★東山凛太朗オフィシャルサイトグランドオープン!!https://higashiyamarintaro.net/