ビヨルン、国連サミットでAIについて語る

ビヨルン・ウルヴァース、国連サミットでAIについて語る:

「私たちは、出力されるすべての成果物に対してではなく、入力されたものに対して対価を支払われるべきだ」

「MBW Views」は、何かを世に訴えかけたい、音楽業界の著名な人々によるオピニオンコラムのシリーズです。

以下の文章は、水曜日(7月8日)にスイス・ジュネーブで開催された国際連合の「AI for Good(より良い社会のためのAI)グローバルサミット」において、ABBAの共同創設者であり、CISAC(著作権協会国際連合)の会長であるビヨルン・ウルヴァースが実際に行なったスピーチの全文です。

サミットの名前を「AI for Good(良いAI)……では、一体誰にとって良いのか?」という問いかけに変え、ビヨルン・ウルヴァースはある基準を提示しました。彼は、そのテクノロジーを生み出すことを可能にした人々がテクノロジーによって消し去られることなく、「本人がそれに同意し、それが生み出すものを共有できているとき」に初めて、そのテクノロジーは「良いもの」と言えるのだと主張しました。そして彼は、すでに自分自身が「正しく行なわれたAI」の実例の中に生きていると語りました。それは、彼らの同意のもとに作られ、ロンドンで週に6回公演を行なっているABBAのデジタルアバターによるレジデンシー公演「ABBA Voyage(アバ・ヴォヤージ)」です。「これはただのスローガンではありません。契約なのです」と彼は言います。

彼が主張するには、ジェネティブ(生成)AIにはそのような契約が存在しません。音楽のAIモデルは、彼自身の作品も含めた「1世紀に及ぶ人類の歌」を学習しており、「同意による許可も、支払いも、葉書1枚の連絡すらなく取り込まれて」しまっています。しかし、自身が執筆中のミュージカルのデモ制作のためにほぼ毎日AIを使用しているというビヨルン・ウルヴァースは、その解決策はシステムが作成する出力(アウトプット)からクリエイターの作品を追跡することではなく、入力(インプット)に対して対価を支払うことであると語りました。

「私たちは、入力されたものに対して対価を支払われるべきです」と彼は言いました。「マシンをマシンたらしめた原材料に対してです」。彼が提案する解決策は、ストリーミングサービスの手法を取り入れたものです。AIのサブスクリプション収入の一部を、クリエイターたちに共同で還元するという方法です。彼がその場に集まった人々に伝えたのは、足りないのはインフラ(仕組み)ではなく、「訴訟を起こせるほど強力な人々だけでなく、すべての人にそれを義務づけるための政治的意志」であるということです。

以下が、ビヨルン・ウルヴァースのスピーチの全文です。

みなさん、おはようございます。

先月、私はパリのステージに立ち、著作者や作曲家の国際組織であるCISACの100周年を祝いました。そして今月、私はここジュネーブのステージに立っています。この2つの都市の間の道のりには、語るべき物語があると感じています。なぜなら、パリこそがクリエイターの権利が誕生した場所だからです。

1791年、フランスは「著作者の作品は著作者に帰属する」ということを世界で初めて法律に明文化しました。そしてジュネーブは、その権利が世界共通のものとなった場所です。「ストックホルムで書かれた曲は、ソウルでも、サンパウロでも、ニューヨークでも保護される」と定めた条約、すなわちベルヌ条約の守護者であるWIPO(世界知的所有権機関)は、このステージからわずか数キロの場所にあります。

パリが約束を交わし、ジュネーブがそれを世界共通のものにしました。私は本日、このサミットに対し、AIの時代においてもう一度同じことを行ってほしいと求めにきました。このサミットの名前は「AI for Good」です。素晴らしい名前です。今週、国際連合は政府の科学者やテクノロジー企業を集め、AIの未来を形作るための新しい「AI for Good委員会」を立ち上げました。これらのシステムを可能にしたクリエイターたちのために、そのテーブルには常に1つの席が余分に確保されていることを願っています。なぜなら、このサミットのタイトルには、ある問いが含まれているからです。

「誰にとって『良い』(Good)なのか?」

ここで、シンプルなテストを提案させてください。あるテクノロジーが「良い」ものであると言えるのは、その実現に貢献した人間がテクノロジーによって消し去られることなく、本人がそれに同意し、それが生み出すものを共有できているときです。この基準に照らし合わせれば、「AI for Good」はすでに存在しています。なぜなら、私自身が毎晩、ロンドンでその実例の中に立っているからです。みなさんの中にも、40歳若返った私自身を含む4人のデジタルアバターが登場するABBA Voyageをご覧になった方がいるかもしれません(とてもおすすめですよ)。彼らはモーションキャプチャと機械学習によって、通常週6回の公演を満員の中で行なっています。

時折、人々からこう聞かれることがあります。「世界に向けてAIや人間の創造性について熱弁を振るっておきながら、なぜ自分自身が機械としてパフォーマンスするチケットを売っているのか?」と。

その答えは、たった一言です。「同意」です。私たちは自らそれを選び、参加し、対価を受け取っています。アーティストが最初からテーブルについていたからこそ、テクノロジーがアーティストに仕える形になり、観客もそれを愛してくれているのです。

これこそが「AI for Good(良いAI)」の姿でしょう。これはただのスローガンではなく、「契約」なのです。しかし、契約のないもう一つのバージョンも存在します。今日この瞬間も、世界のどこかでジェネティブ(生成)AIモデルが音楽を創り出しています。それは、CISACの全会員が一生をかけて書くよりも多くの曲を、たった1日で生み出すことができます。それが可能な理由はただ一つ。私たちの作品、つまり、私自身の作品も間違いなく含まれる、1世紀に及ぶ人類の歌を学習したからです。同意も、対価の支払いも、葉書1枚の連絡すらなく取り込まれたのです。

私はここで、「機械が作った音楽は冷たくて魂がなく、聴き手は常にその違いを見分けるだろう」などと言うつもりはありません。それが事実ではないことを私は知っています。私は、構築されたこれらのツールに純粋に畏敬の念を抱いています。しかし、畏敬は容認とは異なります。素晴らしいツールですが、私たちがいなければ作ることはできませんでした。メロディを書き、パフォーマンスを録音し、これまで誰も言わなかったかもしれない言葉を見つけてきたアーティスト、ソングライター、ミュージシャン、プロデューサー、あらゆる人々の存在なしには成り立たなかったのです。彼らの仕事が、これらのモデルの中に息づいています。

「私はカセット、CD、MP3、ナップスター、そしてストリーミングの時代を生き抜いてきました。その都度、私たちの業界は人間のクリエイターを保護しながら、新しいテクノロジーを受け入れる方法を見つけてきたのです」。

— ビヨルン・ウルヴァース

それは、これらのツールが構築された基盤そのものです。ツールがそのような音を奏で、そのような動きをし、そのように感じさせる理由そのものなのです。だからこそ、私たちは反対者でも、障害物でも、弁護士が対処すべき問題でもなく、「パートナー」なのです。接着剤、つまりパートナーには、テーブルにつく権利があり、収穫を分かち合う権利があります。

では、これは実務において具体的に何を意味するのでしょうか。私は道徳的な議論をするためだけにここにいるのではありません。一つの提案をするために来ました。一部の人々は「出力された成果物の中から自分たちの作品を追跡すること」に答えがあると言いますが、その気持ちは分かりますが、モデルの仕組みを誤解していると思います。

ご存知のように、AIモデルは音源をサンプリングしているわけではありません。何百億もの事例を通じて、メロディがどう動き、ハーモニーがどう解決し、リズム、音色、言語がどう組み合わさるかという「関係性」を学習しているのです。出力されるものは、特定の1曲のコピーではありません。モデルが学んだすべてから構築された、新しい「総合(シンセシス)」なのです。

ここで、私がどのようにAIを使っているか、具体的な例を紹介しましょう。私は現在、新作ミュージカルを執筆中ですが、ほぼ毎日AIを使っています。自分で書いた曲やパートを、ギターを弾きながら歌って録音します。それをAIモデルにアップロードし、「カバーを作ってくれ」と頼むのです。いつか人間のアーティストと録音するときに、その曲がどのようになるかを大まかに聴いてみたいからです。単に「ポップバラード、女性ボーカル、ストリングス」とプロンプトを入力するだけで、突然、本格的なデモ音源が出来上がります。

そうすると、自分では気づかなかった弱点が浮き彫りになります。うまく機能していないブリッジ、しっくりこない歌詞、もう一工夫必要なメロディ。それから書き直し、同じことを何度も繰り返します。これがどの曲から学習されたものかを追跡してみろと言われても、誰にもできません。不可能なのです。

私にとって、「出力を追跡すること」は常に間違った問いでした。正しい問いはもっとシンプルです。「学習(トレーニング)」についてです。私たちの作品が入力されたのです。私たちは、出力されるすべての成果物に対してではなく、入力されたものに対して、つまりマシンをマシンたらしめた原材料に対して対価を支払われるべきなのです。

私たちは以前にも、このような問題を解決してきました。Spotify(スポティファイ)が登場したとき、私たちはクリエイターに支払う前に、個々の再生回数の価値をいちいち測定しようとはしませんでした。カタログ全体のライセンス契約を結んだのです。プラットフォームの収益の一定割合が、権利者にまとめて還元される仕組みを作りました。AIも同じように機能させることができます。AIのサブスクリプション収入の一部を、これらのシステムをトレーニングした作品のクリエイターたちに還元するのです。

1世紀以上にわたって共同管理(一括ライセンス)が機能してきたのと同様に、共同で管理すればよいのです。インフラはすでに存在します。原則もすでに確立されています。欠けているのは、訴訟を起こせるほど強力な人々だけでなく、すべての人にそれを義務づける「政治的意志」だけです。それこそが、今日私がこの会場に求めているものです。

これは単に「今日のアーティスト」を守るための話ではありません。「明日のアーティスト」を確実に存在させるためのものです。人間のクリエイターが生活していけなくなれば、楽器をマスターしたり、自分の声を見つけたり、人々の心に響く曲を書いたりすることに何年も費やす人は減ってしまうでしょう。そうなれば、AI自体も最終的には学習すべきオリジナリティや人間の創造性を失うことになります。公平であることは、単に道徳的に正しいというだけでなく、「井戸が枯れるのを防ぐ方法」なのです。

私たちは今、分かれ道に立っています。現在、世界中の裁判所で進行中の裁判は、ライセンス契約がこの新しい業界の基盤になるのか、それとも「無料の搾取」が基盤になるのかを決定づける一助となるでしょう。今後数年間の決定が、数十年にあたりクリエイティブ経済を形作ることになります。しかし、私は悲観していません。私はカセット、CD、MP3、ナップスター、そしてストリーミングの時代を生き抜いてきました。

その都度、私たちの業界は人間のクリエイターを保護しながら、新しいテクノロジーを受け入れる方法を見つけてきました。そのたびに、人々は難しい決断を下さなければなりませんでした。そしてそのたびに、最終的に生き残った決断は「道理にかなったもの」でした。人間の創造性は単なる「コンテンツ」ではなく、単なる「データ」でもありません。

それは人生の証であり、生きた証です。悲しみが歌詞になり、愛がメロディになり、ある特定の時代や場所に生きた人間の、二度と繰り返すことのできない具体的な経験が、他者が感じられるものへと昇華されたものです。それこそが、これらのモデルをトレーニングした正体です。そして、自らの生涯の仕事がモデルの一部となった人々は、それによって可能になった成果を分かち合う権利があります。

ですから、これらの素晴らしいシステムを構築している企業に言いたい。あなた方は驚くべきものを創り出しました。しかし、私たちなしでは創り得なかった。そのことが、私たちがパートナーであることを示しています。私たちはテーブルにつく席に値し、収穫を分かち合うに値します。人間の創造性は、人工知能の敵ではありません。人間の創造性こそが、人工知能が存在する理由なのです。

未来は、クリエイターかテクノロジーかの二者択一を求めてはいません。クリエイターが、自ら構築を助けた未来において、これからもパートナーであり続けられるかどうかを決めることを求めているのです。

パリが約束を交わし、ジュネーブがそれを世界共通のものにしました。

この部屋にいるみなさんには、AIの時代に向けてその約束を新たにする機会があります。

私たちはそれを成し遂げられると、私は信じています。

ありがとうございました。

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