人類のためのグレイテスト・ヒッツ:音楽と寄付の歴史

子どもたちのためにUNICEFの使命に声を貸してきた音楽界の伝説たちを讃えて

ジョージ・ハリスン、ラヴィ・シャンカル、そしてABBA——この3組に共通するものは何でしょう?
それは、ジョン・バティステ、フリートウッド・マック、その他数え切れないほどのアーティストたちと共に、長年にわたり何百万人もの子どもたちの人生を変えてきたということです。

ロックやポップから、ジャズ、キャバレー、ファンクの俊英たちまで——これらのアーティストはUNICEFと連携し、「音楽による啓発活動」が、かつて無視されていた社会課題にも共感の輪を広げることを証明してきました。
そして、その訴えは確実に届いています。

これまでに、音楽アーティストたちがUNICEFの子どもの権利を守る活動のために生み出した印税収入は、5,350万ドル(約77億円)を超えます。

幕が上がる

1962年、マレーネ・ディートリッヒが、ピート・シーガーの反戦バラード「花はどこへ行った」をドイツ・デュッセルドルフで開催されたUNICEFガラで披露し、聴衆の心を揺さぶりました。
このパフォーマンスが、音楽業界と連携して子どもたちのために資金を集めるというUNICEFの革新的な取り組みの始まりでした。

それから数年後、1967年のパリで行なわれたUNICEFバラエティ・ガラでは、ビーチ・ボーイズ、ラヴィ・シャンカル、ジョニー・アリデイ、レナ・ホーンといったスターが登場し、勢いがさらに加速します。
ハリウッドの伝説的俳優であるマーロン・ブランド、エリザベス・テイラー、リチャード・バートンもステージに立ち、ジョン・レノンとジョージ・ハリスンは客席からそれを見守りました。

時は1971年へ。ラヴィ・シャンカルとジョージ・ハリスンは、ニューヨークで初の大規模ロック・チャリティ・コンサート「バングラデシュ・コンサート」を共催し、東パキスタン(現在のバングラデシュ)の人道危機への国際的支援のきっかけを作りました。

ジョージ・ハリスンの「Wah-Wah」が鳴り響き、エリック・クラプトン、バッドフィンガー、ボブ・ディランらが次々とステージに加わっていきました。
このライブが、後に数千万ドル規模の子ども支援資金を生むとは、当時誰が想像したでしょうか。

「どうか皆さん、命を救う手助けをしてください。私たちは苦しみを和らげようとしているんです。戦争はすべて悪です」。
——ジョージ・ハリスン(満員の観衆に向けて)

観客4万人を超える満席の会場で開催された「バングラデシュ・コンサート」は、音楽史にも人道支援の歴史にも大きな足跡を残しました。

このコンサートの音源は現在、主要なグローバル・ストリーミングサービスで配信されています。
その配信から得られる収益はすべて、UNICEFに寄付され、今もバングラデシュをはじめ、世界中で支援を必要とする子どもたちのために使われています。

より大きな舞台へ

その約10年後の1979年、ビージーズと彼らのマネージャー、ロバート・スティグウッド、英国のテレビ司会者デヴィッド・フロストが「ミュージック・フォー・UNICEF:ギフト・オブ・ソング」コンサートを国連総会議場で開催しました。

このイベントには、ABBA、ドナ・サマー、アース・ウィンド・アンド・ファイアー、ロッド・スチュワート、オリビア・ニュートン=ジョン、クリス・クリストファーソン&リタ・クーリッジといった当時のスーパースターが集結。
彼らは、「チキチータ」「Do Ya Think I’m Sexy?」「トゥー・マッチ・ヘヴン」などのヒット曲の印税をUNICEFに寄付することを誓いました。

これは、音楽著作権と印税の寄付を通じてUNICEFを支援するという、画期的な取り組みでした。

寄付された楽曲がストリーミングされたり、購入されたり、放送されるたびに、UNICEFへの支援金が生まれます。

「ここ2年間で私たちは多くの利益を得ました。そして今、その一部を還元したいのです」。
——バリー・ギブ(ビージーズ)

「飢餓や医療、教育に多くの問題があることは分かっていました。
一刻も早く、できるだけ多くの支援が届くことが望ましいのです」。
——ロビン・ギブ(ビージーズ)

このイベントの精神はその場限りにとどまらず、「ミュージック・フォー・UNICEF」プログラムは印税管理の仕組みを整え、長期的な収益確保を可能にしました。

*© UNICEF/UNI42511/Grant

英国のテレビ放送司会者デヴィッド・フロスト、寄付された楽曲の作曲者であるフリートウッド・マックのバンドメンバー、リンジー・バッキンガムとスティーヴィー・ニックス、そして表彰状を授与した国連事務次長補で国際児童年特別代表のエステファニア・アルダバ=リム博士、ならびにUNICEF広報局長のジャック・リン。

*© UN Photo/Milton Grant

1979年の「ミュージック・フォー・UNICEF」コンサートでパフォーマンスを行なうABBA。

*© UN Photo/Saw Lwin

1979年の「ミュージック・フォー・UNICEF」コンサートで共にパフォーマンスを行なうクリス・クリストファーソンとロッド・スチュワート。

*© UN Photo/Saw Lwin

1979年の「ミュージック・フォー・UNICEF」コンサートでパフォーマンスを行なうビージーズ。

*© UN Photo/Saw Lwin

1979年の「ミュージック・フォー・UNICEF」コンサートでパフォーマンスを行なうドナ・サマー。

*© UN Photo/Saw Lwin

1979年の「ミュージック・フォー・UNICEF」コンサートで共にパフォーマンスを行なうオリビア・ニュートン=ジョンとアンディ・ギブ。

参加できなかったものの共鳴したアーティストもいます。
フリートウッド・マックのスティーヴィー・ニックスとリンジー・バッキンガムは、1979年に「ビューティフル・チャイルド」の印税を寄付。
ジョージ・クリントンとファンカデリックのメンバーも、「One Nation Under a Groove」の所有権をUNICEFに譲渡しました。

1981年には、カンボジア(当時カンボジア人民共和国、現在のカンボジア)支援のため「コンサート・フォー・カンボジア」がロンドンで開催されました。
UNICEFはクメール・ルージュ政権崩壊後にいち早く現地に戻り、緊急支援を展開していたのです。

このコンサートには、ザ・クラッシュ、エルヴィス・コステロ&ジ・アトラクションズ、イアン・デューリー&ザ・ブロックヘッズ、ポール・マッカートニー&ウイングス、クイーン、ザ・フーといった豪華ラインナップが集結。

「UNICEFを信じられなければ、いったい誰を信じられるというのだろう?」。
——ポール・マッカートニー(Rolling Stone誌のインタビューより)

このイベントのライブアルバム販売によって、UNICEFと国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に対して140万ドル以上の資金が寄付され、人道支援が支えられました。

新たなリズムへ

時代とともに変化する人道ニーズに合わせて、UNICEFの音楽による募金活動も進化し続けています。

2013年には、UNICEF親善大使セレーナ・ゴメスが「第3回アコースティック・チャリティ・コンサート」を主催し、約40万ドルを調達。

2014年には、ケイティ・ペリーが北米ツアーのチケット1枚ごとに1ドルをUNICEFに寄付し、合計100万ドル以上の寄付を達成しました。

*© UNICEF/UNI162475/Estey

2014年、UNICEF USA親善大使のセレーナ・ゴメスが、ネパールのサトバリヤ村にある幼児教育の教室を訪問。

*© UNICEF/UN020370/Trong Quoc Nam

2016年、UNICEF親善大使ケイティ・ペリーがベトナム・ニントゥアン省の学校を訪問した際、7年生のダン・ティ・ホアン・アインさんが一緒に歌を披露。

そのレガシーは、いまも響いている

長年にわたり音楽印税のコレクションが広がることで、UNICEFはさらに多くの子どもたちに支援を届けられるようになりました。
音楽による募金活動や音楽を活用した教育・福祉プログラムの実施により、子どもたちはより多く学校に通えるようになり、安全で清潔な水へのアクセスも進んでいます。
5歳の誕生日を迎えられる子どもの数も、過去最多を記録しています。

そして、私たちの物語はまだ終わりません。音楽は常に変化し続けています。
新たなアーティストがUNICEFの活動に参加するたび、新しい可能性が生まれます。

UNICEFの音楽プログラムは、子どもたちの心の健康、認知発達、社会的包摂、安全確保など、幅広い分野で役立っています。
新しいジャンルが生まれ、次々と才能ある音楽家たちが加わる中で、音楽は今もUNICEFの物語の中心にあります。
それは、世界を変える力を持つ、普遍の言語なのです。

https://www.unicef.org/stories/history-music-giving

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です