「きらめきの序曲」はABBAにとってUKチャートの最高位だった

1974年に「恋のウォータールー」でユーロビジョンに勝利した後、ABBAの国際的な運勢はやや失速気味であった。しかし1977年後半には、特にイギリスでは「きらめきの序曲」で6枚目、最後の6枚のリリースから5枚目となるNo.1シングルを記録し、彼らは止められない勢いになっていた。

「マンマ・ミーア」に始まり「悲しきフェルナンド」「ダンシング・クイーン」「ノウイング・ミー、ノウイング・ユー」と続いてきた。スウェーデンのポップ・チャンピオンの真のテーマソングになったにしては意外なことに「マネー、マネー、マネー」が3位にランクインしたことで、その流れは中断された。

ベニーとビヨルンがバンドのマネージャー、スティッグ・アンダーソンと一緒に書いた新しい雰囲気の「きらめきの序曲」は、彼らの次のLP(単に『ジ・アルバム』と呼ばれる)のために作られた最初の曲であった。この曲はドイツ、オランダ、オーストラリア、そしてスウェーデンなど多くの国でトップ10シングルになった。

この曲はアメリカでも好評で、最高位12位、アダルト・コンテンポラリー・チャートではトップ10入りを果たした。しかし、「きらめきの序曲」がABBAの評判を高めたのは、イギリスにおいてであった。

◆アルバム・シーン・セッター
この曲は、イギリスのシングル・カウントダウンで比較的控えめな20位に入ったが、その1週間後には5位に急浮上し、頂点を目前にしていた。1977年11月第1週のチャートでは、バカラの「Yes Sir, I Can Boogie」を抑えて1位を獲得し、ヨーロッパで人気を博した。さらに「きらめきの序曲」はイギリスの『The Album(ABBA・ジ・アルバム)』への欲求を刺激し、1978年の早い時期にチャートに登場し、7週連続の首位を獲得した。

◆70年代のプレイリストを聴く
1980年にAny Trouble、1999年にMartha Wainwrightといったアーティストが「きらめきの序曲」をカバーした後、2018年にシェールがABBAに影響を受けたアルバム『ダンシング・クイーン』でリメイクし、この曲は再びアップデートされることになった。

https://www.yahoo.com/entertainment/name-game-uk-chart-supremacy-090626688.html

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