【連載189】熊本地震取材日誌(2016年の今日、熊本で何があったのか?

10月19日水曜日昼

【熊本地震・被災者生活・復旧復興情報】

*下記熊本情報はあらゆる箇所で重複しています。ご了承ください!

皆様こんにちは。熊本地震から半年。「この子」は、休む間もなく大忙しです。

10月11日、熊本県山鹿市にある築106年の芝居小屋「八千代座」で開かれた歌舞伎の舞台。花道に登場したのは、はかま姿のくまモン。歌舞伎ファンから大きな悲鳴と歓声が上がりました。目的は熊本地震の義援金集め。帰り際、くまモンが派手に見得(みえ)を切ると、さらに大きな歓声が起こりました。

翌日夕方、今度は大阪市の農業機械大手クボタ本社にいました。社員食堂で出す熊本県産品を使ったメニューのPR活動です。登場したくまモンはパンやパスタなどを何度もつまみ食いしようとして、「突っ込み」を浴びました。集まったクボタ社員の一人、室園怜奈は「くまモンはかわいいし、『笑い』もよく知ってる。堅苦しくならず、自然な形で支援できるのがいい」と話しています。

2010年に登場したくまモン。人気はとどまるところを知りません。関連商品の売り上げは11年度の25億円から15年度は1007億円と、4年で40倍に。県産品では、野菜や畜産の生産高に匹敵する金額です。その経済効果は、アベノミクスならぬ「くまモミクス」。

熊本地震後もコミカルな動きで笑いと支援の輪を広げています。出演依頼は4月の173件から9月には427件に急増しました。「瞬間移動」できますが、同時に2カ所に現れることはできず、毎月の出動回数は260回程度が限界。体がいくつあっても足りない忙しさです。商品パッケージやデザインなどへの使用申請も急増。タミヤ(静岡市)のミニ四駆、仏ル・クルーゼの食器など、売り上げや利益が義援金になる商品も登場しました。

◆くまモンは震災復興の象徴になり得る

県くまもとブランド推進課長の柳田紀代子が安堵し確信したのは、5月5日のことです。地震後3週間ほど自粛していた活動を、こどもの日に合わせ、被害の大きな熊本県西原村の保育園で再開しました。くまモンは、子どもに囲まれ、もみくちゃになった。手を合わせ、涙を流すお年寄りもいました。

「やっと自宅で家族みんなで丸くなって眠ったよ お風呂も入れたよ 普通のコトができるって幸せ」。くまモンを企画した放送作家の小山薫堂が地震直後に立ち上げたツイッター上のハッシュタグ「#くまモンあのね」に書き込まれた言葉です。くまモンに語りかける形で被災者が、思いのままを打ち明けられます。小山は「こどもの日こそ、くまモン復活にふさわしい」と考え、県に伝えました。

決断したのは県知事の蒲島郁夫だ。支援する側も、くまモンを応援することで、自然と被災地を応援できます。「くまモンが相手なら励ます側も、励まされる側も素直になれるんですよ」。蒲島は、この半年を振り返り、そう話しています。

県は6月、くまモンが復興の旗を振るイラストを公表しました。くまモンのデザインを手がける水野学が、ドラクロワの名画「民衆を導く自由の女神」をイメージしました。復興をくまモンと一緒に県民自らの手で導くという、決意の表れでもあるとのことです(敬称略)。

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くまモン

熊本県営業部長兼しあわせ部長。熊本弁で「熊本の者(モン)」という意味で名付けられました。年齢・体重非公開。熊本に野生のクマはいないため、「クマではない」(県)。誕生日は3月12日。男の子。

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阿蘇山が10月8日午前1時46分に36年ぶりとなる爆発的噴火を起こし、1万メートルを超える噴煙を立ち上げました。幸い死傷者は出ませんでしたが、場所によっては火山灰や噴石が1メートル以上も降り積もりました。

この噴火は熊本地震と関係があるのか?今後、さらに大きな噴火が起こる可能性はあるのでしょうか?

◆地表へ放出されたマグマはわずか

気象庁によりますと、今回の阿蘇山の噴火は地下のマグマの熱で地下水が沸騰した「マグマ水蒸気爆発」だそうです。噴き上げた噴石や火山灰の大部分は火口を塞いでいたもので、地表へ放出されたマグマはわずかであるようです。しかし山体直下のマグマが活発化したことは確かであり、地震の影響で阿蘇山が活動的になり、近いうちに大噴火に至るのではないかと心配になるのは当然でしょう。

地震が噴火を誘発した例はいくつか知られています。20世紀以降にマグニチュード9クラスの超巨大地震は6度発生していますが、そのうち5例では1年以内に震源近隣の火山が噴火しています。唯一の例外はあの「3.11」。ただこの場合でも、幸い噴火には至りませんでしたが、たとえば蔵王山、吾妻山、八甲田山などの東北地方の活火山では地震発生後にマグマ溜まりの異常が観測されました。

地震が噴火を誘発するのは、超巨大地震の前後で地盤の状態が劇的に変化するからです。地震前にぎゅっと押し縮められていた地盤が、地震発生によるゆがみの解放で突如伸びた状態になるのです。すると火山直下のマグマ溜まりも引き延ばされます。その結果マグマ溜まり内の圧力が下がり、ビールの栓を空けたときと同じようにアブクが発生して、マグマが地表へあふれ出すのです。

熊本地震でも地震発生後に地盤が引き延ばされたことが確認されています。その結果地下数キロメートルにあると考えられる阿蘇山のマグマ溜まりは30~40センチメートルほど膨張したようです。ただ、このマグマ溜まりの小規模な変化が今回の噴火につながったかどうかはよくわかっていません。

熊本地震と今回の噴火には直接の因果関係はないと多くの学者が推測しています。そう考える最大の理由は、ここ数年阿蘇山の地下では活発なマグマの活動が観測されていたことから来ています。

つまり、日本列島でも名だたるバリバリの活火山である阿蘇山は、最近、活動的な状態にあると言えます。そしてこれは決して「異常」なことではなく、活火山の「息づかい」と認識したほうがいいのでしょう。

◆巨大カルデラ噴火の危険性を認識せよ

10月8日の阿蘇山噴火による噴出物は約50万トンと推定されています。戦後最悪の火山災害となった2014年の御嶽山噴火とほぼ同量です。しかしこれらは日本列島でこれまで起きてきた数々の噴火と比べると決して大きいものではありません。日本史上最大規模の噴火は富士山宝永噴火や桜島大正噴火などであり、今回の阿蘇山噴火の数千~1万倍もの規模です。

そしてこのクラスの大噴火は日本列島ではおおよそ100年に1度起きています。言い換えれば、列島に110ある活火山は、いつこのような大噴火を起こしてもおかしくないのです。たとえば富士山で宝永クラスの噴火が起きたとすると、首都圏でも数センチメートルの降灰が予想され、経済的被害は最悪2兆円を超えると言われています。

しかしここで私たちが忘れてはならない事実があります。それは、日本列島では富士山宝永噴火の100倍~数千倍の規模の噴火が幾度も起きてきたことです。地質学的なデータが比較的そろっている過去12万年間を見ると、北海道で4回、九州で6回、あわせて10回の「巨大カルデラ噴火」が起きています。最も直近のものは、7300年前、鹿児島県南方の「鬼界カルデラ」で起きました。そしてこの噴火のせいで南九州縄文人が絶滅したと言われています。そして阿蘇山も、過去30万年間に4度も巨大カルデラ噴火を起こしている札付きの火山です。もちろんその結果、あの雄大なカルデラ地形ができあがったのです。

巨大カルデラ噴火は確かにまれな現象です。しかし忘れてならないことは、それが一度起こった場合の想像を絶する被害です。最悪の事態を想定するために、人口分布や偏西風の影響を考えて、九州中部でこの噴火が起きたとしましょう。地層の中に残された過去の巨大カルデラ噴火の記録に基づくと、数十キロメートルにまで達した噴煙柱が崩壊して発生した500度を超える高温の火砕流は2時間ほどで九州のほぼ全域を覆い尽くします。

そして、首都圏では20センチメートル、北海道と沖縄を除く列島のほぼ全域に10センチメートル以上の火山灰が降り積もります。そしてこの降灰域では電気・ガス・水道・交通網などのすべてのライフラインが停止し、1億人以上が日常生活を失うことになります。おまけに現状では、この状況下での救援・復旧活動はほぼ不可能です。これは、「日本喪失」にほかなりません。

自然災害や事故の対策を講じる際に参考にされるのが「危険値」という概念です。この値は、その災害による予想死亡者数に発生確率を乗じたものです。確かに巨大カルデラ噴火の発生確率は小さいです。今後100年で約1%程度です。しかしその危険値は、首都直下地震より高く、南海トラフ巨大地震とほぼ同程度となります。

◆火山列島に暮らすということ

日本喪失が起きるのならば、それはそれで諦めて日々楽しく暮らそう、という見解もあるでしょう。しかし私たちの子々孫々が末永く安泰であってほしいと感じる方も多いのではないでしょうか?。

私たちは火山から多くの恩恵を与えられてきました。温泉はわかりやすい例ですし、実は世界に誇る「和食」も火山からの贈り物です。火山活動のおかげで山国となった列島は、昆布や鰹の旨味成分を効果的に抽出する軟水に恵まれたのです。

だから、ちゃっかりと恩恵だけを享受しているのはずるいように感じます。火山からの試練を十分に理解して覚悟することも、火山の民が取るべき道ではないでしょうか?。もちろん覚悟は諦念ではありません。未曾有の災害に対する立ち振る舞いを考える必要があるでしょう。

もちろん私たち科学者は、巨大カルデラ噴火の予測に向けて観測を開始しています。まずは体の中を調べるCTスキャンと同じ原理で、マグマ溜まりの大きさと位置を正確にイメージングすることです。簡単なように思われるかもしれませんが、日本の火山でマグマ溜まりを正確にとらえた例はありません。火山大国、技術立国としては情けないかぎりですね。

*ブログでも同じ熊本情報を掲載しています。ご参考までに

http://ameblo.jp/onmitsudoshintenpoji/entry-12211172241.html

1.被災地情報

①(やっぺし)熊本地震半年、村の底力!

熊本地震の本震から半年。南阿蘇村の黒川地区は、少しの間、にぎわいが戻りました。東海大生らによる灯籠をともすイベントに学生や住民200人が集りました。地区に東海大阿蘇キャンパスがあり、下宿やアパートが立ち並ぶ「学生村」でした。800人もの学生が生活し、地域の住民に溶け込んでいました。阿蘇キャンパスは被災し授業は熊本市内に移り、学生は転居していなくなりました。大家さんたちも被災し、ほとんどは黒川地区外の仮設住宅などで暮らしています。

この日は亡くなった学生や住民を悼むとともに、再会の場として企画されました。「学生は村の宝」。招かれた大家さんたちは学生と談笑しながら口々に言います。単なる収入源としてでなく、家族を失ったような気持ちでいるのがよくわかります。前夜から、黒川に住み続ける数少ない大家さん宅には下宿生が集まっていました。竹原満博さん(55)宅は、15人が久々に妻の伊都子さん(55)の手料理を食べました。 「おばちゃんの腕、なまってない?」。伊都子さんが言うと「うまいよ」と声が飛びます。満博さんの父家佐登さん(79)も食卓を囲みます。目が不自由なので学生たちが世話をします。地震の時は、学生がおんぶして助けました。「元気そうだ。見えなくても声でわかる」。 一部の学生は、今も片付けや農作業の手伝いなどで、毎週末、黒川にやってきます。学生たちの多くは半年経っても、地域とのつながりは続いています。

そして、この日のイベントを裏で支えていたのは、南阿蘇村の人たちです。会場にキャンパスを使うことが許されず困っていた学生に、小学校跡地を紹介しました。熊本市内の行事で使っていた竹灯籠を借りる段取りもつけました。関係者は言います。「学生に戻ってきてほしいし学生も戻りたい。大学に思いを訴える企画でもある」。

村民たちのグループのいくつかは、半年後の地震1年やその先に向けた動きを始めました。一つは、村で農園を営む木之内均さん(55)たち。木之内家に集まり「復興ミュージアム」について相談しました。管理していた立野地区の温泉施設が泉源から配水できなくなり、復旧は絶望的です。地区も水源を失い、無事な家も含め340あった全世帯が避難生活を送っています。住民が戻れば、集会や茶飲み話に使いコミュニティー再生の核施設に、という考えです。 木之内さんら村民らがつくる復興支援団体は、2800万円を超す寄付を受けました。人気バンド「SEKAI NO OWARI」がコンサートで集めたお金です。農園にボランティアに来たのが縁で、復興に役立てて欲しいと贈られました。「単なるイベントでなく、先につながることに」とミュージアムを考えました。地元写真家や、ノウハウを持ったNPOなどが集まり、準備を急ぐことを確認しました。そこで連帯できれば、と話題になっていたのは、村の観光関係者で結成した協議会です。江戸時代から続く老舗旅館、地獄温泉・清風荘の河津誠社長(54)がまとめ役。清風荘は、地震とその後の豪雨で土砂に埋まりました。砂防工事を含めた復旧作業で、3年間は再開できる状態ではありません。同じく被災した旅館や取引のある業者らが集まり、何ができるか知恵を絞りました。地震から1年の4月16日にと、構想しているのが、映像祭です。地震の爪痕を残す風景や立ち上がる住民らを撮影したプロ・アマの作品を上映します。 毎年続けることで、復興に向かう姿を発信できて、アーカイブにもなります。河津社長は「むしろチャンスだと思っている」と語ります。長年建て増しを続けた施設を一新できる。官民から支援も受けられます。「そして、みんなで何とかしようという機運ができた」。この日は、阿蘇の火山灰を使って干物を作ろうと村を訪れた大学教授に協力しました。「灰干し」と呼ばれ、築地で高級品で扱われたり、桜島では弁当が大人気だそうです。捕獲したばかりのイノシシや、特産の赤牛で試作品を作るのを手伝いました。イノシシは地元の猟師が、赤牛は焼き肉店の経営者が、提供してくれました。料理人でもある河津社長。「うまければ、再開後の旅館にメニューにしたい」。

大槌町の震災半年は、どんなだったろうと思い起こします。がれきがほぼ片付き家の土台だけになった頃。勤務先は復旧せず職を失った人ばかり。親類を亡くしていない町民を捜す方が難しく、前を向けという方が無理でした。そこで「復興ツーリズム」をゼロから模索し始めた若者たちがいました。後に東京の企業も研修に来る団体へと成長を始めますが、それまでに何年もかかりました。 阿蘇は、そこまでの被害はありません。しかも、培った観光のノウハウがあります。しかし、残念なのは道路事情です。熊本市内と結ぶ道路や橋が大きなダメージを受けました。山越えをするルートしかありません。観光バスはう回してまでなかなか来てくれません。山間の村道の被害もひどいです。温泉までの道が不通だと客どころか復旧工事もできていません。冬は雪、梅雨時は豪雨で作業を妨げます。神様は意地悪だと思います。

②熊本・益城に南極の氷届く、子供たちから歓声

熊本地震で被災した熊本県益城町の広安西小学校に昨日18日、南極観測船「しらせ」が持ち帰った南極の氷が届き、手に触れた子どもたちから大きな歓声があがりました。

自衛隊熊本地方協力本部が子どもたちを元気づけたいと企画。海自が運用する「しらせ」から提供された氷を使って5年生に特別授業を開きました。同本部は、8月まで広安西小にあった避難所への食事や風呂の提供など被災者支援の調整に携わり、その縁で実現しました。

子どもたちは氷の冷たさに「家の冷凍庫のと違う」「すぐ低温やけどしそう」。何千万年も前の空気を含んで凝縮された南極の氷は溶ける時にパチ、パチと音を立て「不思議」との声もあがりました。水上妃羅(きさら)さん(10)は「表面はふわふわで気持ちよかった。すごい元気が出た」と笑顔でした。

③コカリナ「復興」への音色、県内で支援コンサート

木の笛「コカリナ」奏者の黒坂黒太郎さん(67)による熊本地震復興支援のコンサートが18~22日、菊池市や阿蘇市などで開かれます。東日本大震災被災地でも響かせたやさしい音色を、黒坂さんがこれまで何度も訪れ縁の深い熊本の人たちに届けます。

黒坂さんは水俣病の少女のことを歌った歌を作曲したことがきっかけで、40年ほど前から熊本の各地でコンサートをしてきました。約20年前にはハンガリーから持ち帰った笛をもとにコカリナを開発。東日本大震災で、被災した木でつくったコカリナを子供たちにプレゼントする活動をし、それを支援するコンサートが熊本でも開かれました。

今回、これまでの活動で黒坂さんとつながる県内各地の人たちが実行委員会をつくり、それぞれの場所でコンサートを開きます。黒坂さんは岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」でつくったコカリナなどを持参します。NPO法人日本コカリナ協会によりますと、コカリナの音色は澄んだ高音、やさしい低音が特徴だそうです。

入場料は300~500円前後。問い合わせは日本コカリナ協会(03・5626・1574)へ。日程は次の通り。

18日・19時=大津町・大津キリスト教会

19日・19時=菊池市・泗水ホール

20日・18時=南阿蘇村・ちょうよう保育園

21日・19時=南小国町役場

22日・14時=阿蘇市農村環境改善センター

④アイシン九州、年明けに全面復旧へ、熊本地震で工場停止

トヨタ自動車系部品大手のアイシン精機は17日、熊本地震で被災した子会社のアイシン九州(熊本市)について、全面復旧が年明け前後になるとの見通しを明らかにしました。地震後の代替生産のために別の工場に移していた従業員や設備がすべて戻ります。

アイシン九州は17日、ほぼ復旧した工場内を報道陣に公開しました。被害が大きかった天井設備に補強の金具が取り付けられ、部品の金型の棚には落下防止のストッパーが設けられていました。アイシン精機の伊原保守社長は同日の会見で今後の災害対策について、「減災対策を進めると同時に、生産が止まっても復旧までに供給を絶やさないよう、在庫の量を増やす」と話しました。

アイシン九州はトヨタのドア部品などを生産していましたが、地震で停止。部品供給が滞り、トヨタが国内の組み立て工場の大半を一時停止するなど影響が出ました。設備や金型部品を九州や愛知県内にある関連企業の工場などに移し、代替生産に踏み切っていました。

⑤レスリング女子、熊本で合宿へ 金メダリスト参加

全日本女子レスリング強化合宿が31日~11月6日、熊本市内で開かれることになりました。14日に発表した市によりますと、今回は、リオ五輪金メダリストの登坂絵莉選手や川井梨紗子選手ら44人が参加予定とのことです。

市の誘致活動が実り、2度目の開催。会場は同市東区の県民総合運動公園の体育館や周辺施設で、今月31日と11月1~3、5日の午後にマットトレーニングが一般公開されます。受付で希望者に渡される整理券で、11月2日午後18時半から植木文化センター(同市北区)である登坂、川井両選手らのトークショーに参加できます。

⑥益城町の避難者100人切る、31日に避難所閉鎖

益城町は昨日18日、熊本地震に伴う指定避難所として唯一開設している町総合体育館の避難者が100人を切り、96人になったと発表しました。町は31日に避難所を閉鎖する方針ですが、まだ12人が閉鎖後の住まいを確保できていません。

町によりますと、12人のうち半数以上は閉鎖日までに、11月完成のバリアフリー仮設や「みなし仮設住宅」への入居、自宅の応急修理がいずれも間に合わないそうです。避難所を出た後の行き先の見通しが全く立っていない人もおり、町は「住民の意向を聞き、閉鎖日までに解決策を考えたい」として、対応を急いでいます。

町は前震が発生した4月14日以降、計18カ所の避難所を開設。避難者数のピークは本震翌日の同17日、町民の約半数に当たる1万6050人に上りました。

県のまとめによりますと、県内では昨日18日現在、7市町村の9避難所に164人が避難しています。

⑦コスモス、噴火に負けず元気に満開、阿蘇市

阿蘇市一の宮町手野の黒川両岸で、コスモスが満開になりました。地元住民らが手入れを続け、8日の阿蘇中岳の噴火で降灰を受けましたが、白やピンクの色鮮やかな花を元気に咲かせています。10月下旬まで見られるとのことです。

コスモスは手野地区尾籠(おごもり)集落の両岸の計1キロほどに、2万本以上が生えています。川面や阿蘇五岳に映え、散歩などで訪れる人たちを和ませています。

住民たちが「地域を明るくしよう」と、1996年から毎年種から栽培。一帯を「おごもり花公園」と名付け、地元総出で年間に7,8回の草刈りや清掃を重ね、今年は7月中旬に種をまきました。

同地区は4年前の九州北部豪雨で一部が浸水し、熊本地震で被災しました。中岳噴火によって満開のコスモスの花や葉が火山灰で白くなったものの、影響は出ていません。

花公園づくりの世話役で、民宿経営の菅乃保留(かんのぼる)さん(76)は「コスモスを育て始めて20年の節目。阿蘇は暗い話ばかりだが、美しい花は嫌なことを忘れさせ、心の支えになっている」と、表情を和ませていました。

⑧復旧進む俵山トンネル、蒲島知事が視察

蒲島郁夫知事は昨日18日、熊本地震で損壊し、年内の再開通を目指して国直轄の工事が進んでいる県道熊本高森線の俵山トンネル(南阿蘇村~西原村)などを視察しました。

国土交通省九州地方整備局によりますと、トンネル内(2057メートル)は7カ所で天井や内壁が崩落し、うち西原村側の4カ所でコンクリートの張り替えが完了しました。2カ所で損壊がみられた路面下の土台の工事も終わり、内壁のひび割れも9割方が補修済みとのことです。

同県道の南阿蘇トンネル(757メートル)は内壁1カ所を張り替えます。さらに、西原村側で一部県道を迂回する村道の新設や拡幅も含めて年内に全ての工事を終え、開通できる見通しだそうです。

蒲島知事はトンネルの中心部まで入って作業を視察。「前回(8月)見た時よりもかなり復旧が進んだ印象。県道の迂回路が、凍結する冬場までにぜひ開通してほしい」と話していました。大規模崩落した阿蘇大橋一帯の土砂撤去作業や立野ダムの建設予定地も視察しました。

⑨フワフワ綿花取れたよ あさぎり町で収穫祭 2016年10月18日

あさぎり町須恵地区の住民らでつくる「和綿の里づくり会」(恒松祐輔代表)が昨日18日、栽培した綿花の収穫祭を同地区の畑で開きました。澄み渡る青空の下、参加者は純白のコットンボールを一つずつ摘み取りました。

同会は、綿花の栽培を地域活性化につなげようと2013年に発足。会員でもある同町の縫製業「マインド熊本」が収穫分を使い、ショールやハンカチなどに仕立てる予定。

この日は活動に協力する南稜高と球磨工高の生徒や須恵小の児童ら約190人が参加し、畑に入って綿を手で集め、種を含め23.5キロを摘みました。収穫は来年1月ごろまで続きます。

須恵小4年の岩崎正剛君は「フワフワした綿がたくさん取れました。どんな製品になるのか楽しみ」と話していました。

⑩走る亀裂、家覆う雑草 「長期避難世帯」の中原団地(御船町

熊本地震で県内初の「長期避難世帯」に認定された御船町の町営中原団地(105世帯、302人)。地震発生から半年、「風雅の里」と名付けられたモダンな町並みから人けは消え、背丈ほどの雑草が覆い尽くします。住民の古閑忠正さん(67)とともに、まるで時が止まったかのような団地内を歩きました。

2.3ヘクタールの台地に、1994年までに12億9千万円をかけて整備された中原団地。地震では建物の損傷はほとんどなかったものの、台地の中央部に地滑りの恐れがある長さ約100メートルの亀裂が生じたため、4月24日に避難指示が発令。6月27日には被災者生活再建支援法に基づく「長期避難世帯」に認定されました。

「団地のごみじゃなか。また誰かがごみを捨てにきとる」。古閑さんが憤りました。団地内のごみ置き場に、扇風機や画面が割れたテレビ、家具、本、CDなどが散乱。生ごみが入った袋にハエがたかっていました。収集は6月下旬から途絶えています。

木造と鉄筋コンクリート造りの住家が混在する団地内は、家々を覆い隠すほどに雑草が生い茂っています。玄関先に子ども用の自転車が放置されている家もあります。地震前、子どもたちが元気に遊んでいたのでしょう。

団地東側では、隣接する雑木林が土砂崩れし、大木が道をふさいでいました。6月の記録的豪雨で崩れたらしく、3カ月以上放置されたままです。

長期避難の要因となった亀裂は中央部の建物の間を東西に走り、ブルーシートで覆われていました。一帯には地盤の動きを測定するパイプ型機器や警報装置も設置されています。町建設課によると5月中旬~7月末までに地盤は4センチ動きましたが、夏以降、ほぼ変化なし。来年3月ごろまでに団地存続の可否を判断するとのことです。

古閑さんは団地内の2LDKの自宅で妻と2人暮らしでした。しかし避難指示後、車中泊、避難所と転々、仮設住宅に落ち着いたのは9月下旬のことです。

古閑さんの自宅に入ると、室内に損傷はなく、地震前と変わらず、今でも住めそうな雰囲気。仮設住宅が狭いためテレビや冷蔵庫など必要分だけを運び、家具や押し入れの布団はそのままです。庭に目をやると、大切に育てていたバラが雑草の中にピンクの花を咲かせていました。

「地震では皿が2,3枚割れた程度の被害だったのに、まさか住めなくなるなんて。帰りたいけど、この先帰れるかどうかすら、まだ分からないんです」。

⑪復興へ祈りの音色、西本智実さん指揮の演奏会

国際的指揮者の西本智実さんが芸術監督を務める、イルミナートフィルハーモニーオーケストラの熊本地震復興支援コンサートが17日、城彩苑(熊本市中央区)や飯野小(益城町)など県内4所で開かれました。

6月に同市で予定していたコンサートは地震で中止。「被災地で何か役に立てないか」という思いに、住宅メーカーのシアーズホーム(同市)や、くまもと音楽復興支援100人委員会などが協力して実現しました。

城彩苑の親水広場では、楽団のメンバー25人が「となりのトトロ」「世界に一つだけの花」などを演奏。「リベルタンゴ」には観客から手拍子が送られ、「熊本の皆さんに幸せが訪れるよう、祈りを込めた」という「アメージング・グレース」は、優しい音色が会場を包みました。

西本さんは「熊本のの人たちが一生懸命に頑張っている様子を、たくさんの人に伝えたい」と語っていました。

⑫熊本と福島つなぐ光、南阿蘇村で手作りランタン点灯

福島県の仮設住宅の入居者らが手作りし、青色に光るランタン=南阿蘇村 熊本県南阿蘇村の葉祥明阿蘇高原絵本美術館で16日夕、東日本大震災で被災した福島県の仮設住宅入居者らによる手作りのランタンがともされました。夏に同館一帯に現れ、幸せを呼ぶといわれる青いハチをイメージした幻想的な光が会場を包み込みこみました。

絵本に親しむ「南阿蘇えほんのくに誕生祭・ブルービーフェスタ」の一環。福島県でランタンを使った復興イベントに取り組む一般社団法人「ビーオリーブ」(東京、小倉美奈子代表理事)が、「熊本地震の被災地のために」と協力し初めて実施しました。

ランタンには星やハートなどの貼り絵があしらわれ、150個が届きました。来館者も制作し、計約300個を阿蘇への畏敬の念を込めて「山」の字に並べ、青色の発光ダイオード(LED)を点灯しました。

小倉さん(55)は「熊本と福島は一緒に頑張っていくというメッセージを伝えたかった。復興に向けて両県の交流が深まればうれしい」と話していました。

NPO法人「難民を助ける会」の長有紀枝理事長の講演やマルシェもありました。

2.ここ一週間の地震

2016/10/19 12:28 19日 12:23頃 父島近海 1

2016/10/19 06:00 19日 05:57頃 福島県中通り 1

2016/10/19 03:48 19日 03:44頃 宮城県北部 1

2016/10/18 21:12 18日 21:08頃 和歌山県北部 2

2016/10/18 16:26 18日 16:22頃 沖縄本島近海 2

2016/10/18 12:52 18日 12:49頃 熊本県熊本地方 1

2016/10/18 08:27 18日 08:24頃 鳥取県中部 2

2016/10/18 06:00 18日 05:56頃 岩手県沖 1

2016/10/18 01:05 18日 01:02頃 熊本県天草・芦北地方 2

2016/10/17 15:03 17日 15:00頃 茨城県沖 1

2016/10/17 12:38 17日 12:35頃 岐阜県飛騨地方 1

2016/10/17 12:21 17日 12:18頃 有明海 1

2016/10/17 11:49 17日 11:46頃 宮城県沖 1

2016/10/17 02:26 17日 02:23頃 熊本県熊本地方 1

2016/10/16 21:47 16日 21:43頃 十勝地方南部 2

2016/10/16 20:20 16日 20:17頃 有明海 1

2016/10/16 20:02 16日 19:59頃 静岡県西部 1

2016/10/16 19:32 16日 19:29頃 根室地方中部 1

2016/10/16 18:35 16日 18:31頃 福島県中通り 2

2016/10/16 17:03 16日 16:58頃 宮城県沖 3

2016/10/16 16:41 16日 16:37頃 宮城県沖 4

2016/10/16 15:19 16日 15:14頃 宮城県南部 1

2016/10/16 14:41 16日 14:38頃 宮城県沖 2

2016/10/16 13:54 16日 13:51頃 石川県能登地方 1

2016/10/16 08:07 16日 08:03頃 熊本県阿蘇地方 1

2016/10/16 05:39 16日 05:36頃 長野県中部 1

2016/10/15 21:58 15日 21:55頃 熊本県熊本地方 2

2016/10/15 16:29 15日 16:26頃 熊本県熊本地方 1

2016/10/15 11:28 15日 11:25頃 熊本県熊本地方 2

2016/10/15 10:38 15日 10:34頃 熊本県熊本地方 2

2016/10/15 09:47 15日 09:44頃 熊本県熊本地方 1

2016/10/15 09:45 15日 09:41頃 熊本県熊本地方 1

2016/10/15 09:43 15日 09:38頃 熊本県熊本地方 3

2016/10/15 07:16 15日 07:12頃 熊本県熊本地方 1

2016/10/15 07:14 15日 07:10頃 熊本県熊本地方 1

2016/10/15 03:37 15日 03:34頃 青森県東方沖 1

2016/10/15 03:22 15日 03:19頃 熊本県熊本地方 1

2016/10/15 00:34 15日 00:31頃 岐阜県美濃中西部 1

2016/10/14 19:25 14日 19:21頃 福島県沖 2

2016/10/14 04:00 14日 03:57頃 島根県東部 2

2016/10/13 20:11 13日 20:07頃 宮城県沖 1

2016/10/13 05:07 13日 05:04頃 岐阜県美濃中西部 1

2016/10/13 01:22 13日 01:18頃 茨城県沖 2

2016/10/12 22:35 12日 22:32頃 熊本県熊本地方 2

2016/10/12 19:24 12日 19:20頃 福島県会津 1

2016/10/12 18:30 12日 18:27頃 十勝地方南部 1

2016/10/12 15:59 12日 15:56頃 熊本県熊本地方 3

2016/10/12 15:57 12日 15:54頃 熊本県熊本地方 1

2016/10/12 08:09 12日 08:05頃 房総半島南方沖 2

2016/10/12 06:20 12日 06:17頃 熊本県熊本地方 2

2016/10/12 04:06 12日 04:02頃 十勝地方南部 3

2016/10/12 01:19 12日 01:16頃 熊本県熊本地方 1

(続く)

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