瞳の日・戊辰戦争開戦の日・駆け落ちの日「今日は何の日・1月3日」

1月3日月曜日

皆様おはようございます。今日で三が日も終わりですが充実したお正月をお過ごしですか?

今日は「瞳の日」「戊辰戦争開戦の日」「駆け落ちの日」です。

まず「瞳の日」から。

なぜ1月3日が「瞳の日」なのかというと、1月3日という日付が「ひ(1)とみ(3)」という語呂合わせであることが由来となっています。
「瞳の日」については眼鏡・コンタクトレンズ業界によって制定された記念日となります。
この「瞳の日」という記念日以外にも10月10日の「目の愛護デー」という記念日も制定されています。
眼鏡・コンタクトレンズ業界によるとこの日を「瞳をいつまでも美しく」という趣旨とした記念日としています。
実はコンタクトレンズの起源はとても古く、500年以上前から発明されていたとも言われています。
そのコンタクトレンズを発明したのが天才として知られているレオナルド・ダ・ヴィンチだとされているのです。
この頃にガラスの壺に水をはって顔を入れて目を空けたところ、外の景色が変わって見えた事が現在のコンタクトレンズの考え方の原型になったと言われていました。
そして、球の形をした容器に水を入れて眼をつけて覗くことによって景色が変わるということも議論されていました。
また、メガネについてもその起源はとても古く、発明された当初は悪魔の道具として忌み嫌われていたそうです。
目が見えなくなるのは神が人間に与えた試練であり、それを妨げるのは悪魔的の仕業だとされていたんですね。
そもそもレンズ越しに覗くだけで目が見えるようになるアイテムは、原理が知られていない当時では超常現象のようなものに見えて不気味だったそうです。

「目は口ほどにものをいう」ということわざがありますが、実際に眼球の運動と心理状態には密接な関係があるのは知っていましたか?
心理学に精通している人間は相手の目の動きによって、相手がどのような思考をしているかがわかるそうなんです。
例えば、目が左上を向いている時には過去の事を思い出していたり、右上を向いている場合には未来を想像していることがわかります。
その他にも、右下を向いている時には過去に食べた物の味や匂いといった感覚的なことを思い出していたり、左下に目線がいっている時には誰かとの会話の内容など、過去の会話などを思い出していることがわかります。
不自然にまばたきが増えている時は緊張をしていたり、不安が高まっている状態となっていて、瞳孔が開き気味になっている時には興味があるものや話し相手に好意を持っていることがわかります。
このように、目の動きだけで相手の思考がある程度はわかってしまうのです。

日本人の瞳の色の多くは黒色であったり茶色だったりしますよね。
そのため、青い瞳をした外国人を見てうらやましく思ったりかっこよく思ったりすることも多いはずです。
しかし、あの青い瞳は突然変異によって出現したものであり、もともと青い瞳をしている人間なんて一人も存在していなかったって知っていましたか?
デンマーク人の研究者によるDNA調査の結果で、青い瞳の人間はたった一人しかいなかった青い瞳の祖先によって子孫が作られ、そしてその数を増やしてきたことがわかっているのです。
その青い瞳の人間が現れたのは六千年前から一万年前だとされていて、それまでは地球上に青い瞳の人類は存在していなかったのです。
そのため、将来的にアジア系の人種である日本人にも突然変異で瞳の色の違う人が現れてもおかしくはないんですね。

*皆様は日ごろ「瞳」を大事にしていますか?目は大事です。注意しすぎてもおかしくないと僕は思います。

次に「戊辰戦争開戦の日」について。

なぜ1月3日が「戊辰戦争開戦の日」の日なのかというと、1868年1月3日に戊辰戦争が開戦したことが由来となっています。
1868年1月2日には旧幕府軍である1万人が京都に向けて進軍を始めました。
旧幕府軍を迎え撃つのは大政奉還後の新政府軍であり、薩摩藩や長州藩、土佐藩による軍勢が中心となっていました。
旧幕府軍の兵力が1万人だったのに対して、新政府軍の兵力はその半数である5千人程度しかいなかったそうです。
1月3日には鳥羽街道を北上していた旧幕府軍が、鳥羽小枝橋付近に布陣していた新政府軍と接触し、この日この時をもって戊辰戦争が始まってしまいました。
戊辰戦争は一般的に鳥羽・伏見の戦いから始まって、翌年の五稜郭の戦いまでを差しますが、この1月3日に起こった戦いを鳥羽・伏見の戦いといいます。
数では圧倒的だった旧幕府軍でしたが、最新の装備を整えて近代戦術で迎え撃った新政府軍にはなすすべもなく劣勢を強いられました。
そして、翌年の五稜郭の戦いで本当の意味で江戸幕府の長い歴史に終止符を打つこととなりました。

歴史で習う様々な戦争は「〇〇の戦い」のように主にその地名が戦いの名前の由来になっていますよね。
しかし、戊辰戦争の「戊辰」という地名はありませんし、なぜこの戦争が戊辰戦争と後に呼ばれるようになったのでしょうか。
実は戊辰とは「十干十二支」というものが由来となっています。
「十干十二支」は「じっかんじゅうにし」と読み、「十干=甲乙丙丁戊己庚辛壬癸」、「十二支 =子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥」となっていて、この十干と十二支を組み合わせてその年のことを呼称します。
同じ漢字の組み合わせを除けば60通りとなっていて、つまり戊辰戦争は十干十二支が戊辰の時に起こったことから、戊辰戦争と名付けられたのです。
戊辰戦争は日本各地で様々な軍勢同士が様々な戦いが行なった、特定の地名や人名、軍勢などで戦いの名前を決めることが出来なかったということですね。

皆さんも歴史の授業で確実に「大政奉還」について習いましたよね。
「大政奉還」とは江戸幕府が握っていた政権を15代将軍である徳川慶喜が明治天皇へと奏上した出来事ですね。
せっかく江戸幕府が政権を握り、鎌倉時代からずっと武士が政治の実権を握り続けていたのに、天皇へと政権を奏上してしまったのか。
実はその狙い日本国内の戦争を避けるためだったのです。
当時の日本は江戸幕府に不満を持っている人や、新しい日本を作ろうという動きが活発になって、国内の各地が荒れていました。
実はこの各地の混乱に乗じて外国が日本を植民地支配しようとたくらんでいたのです。
外国からの脅威が迫っている時に日本人同士で争って国力を落としてはいけないと考えた徳川慶喜は、大政奉還を行なって、新政府軍と旧幕府軍が争う意味をなくし、戦争を回避しようと考えたんですね。
しかし、無情にも翌年には戊辰戦争が開戦してしまい、徳川慶喜の希望は叶いませんでした。

*本来、幕府軍は負けるはずもなかったのですが、大将である慶喜が逃げてしまっては終わりですよね。最後まで戦っていた皆様に合掌。

最後に「駆け落ちの日」について。

なぜ1月3日が「駆け落ちの日」なのかというと、1938年1月3日に女優の岡田嘉子と杉本良吉が、樺太の国境を越えてソ連へ亡命したことが由来となっています。
その後、亡命先のソ連で二人を待ち受けていたのは、スパイ容疑で国家警察に逮捕されるという過酷な運命でした。
二人は離れ離れになってしまい、岡田は禁錮10年となり、強制収容所へと送られ、杉本は国家反逆罪で銃殺されてしまいました。
当時、二人がなぜこのような危険な駆け落ちをしたのかは謎でしたが、後に岡田の自叙伝「悔いなき命を」で語られることになりました。
岡田はモスクワに渡ってからは演劇の勉強をし、杉本は国際的左翼演劇機関と連絡をとって仕事をする予定だったそうなのです。
その後も岡田は波乱万丈な人生を送り、1972年には日本へと34年ぶりに帰国し、女優として「男はつらいよ」シリーズなどに出演しました。
1986年には再度モスクワへと渡り、1992年2月10日でその人生を終えることになりました。

駆け落ちという言葉の語源について解説していきます。
駆け落ちには「結婚を許されていない男女が一緒にその土地から逃げること」という意味があり、恋愛を意味する言葉ですよね。
しかし「駆け落ち」という言葉はもともと恋愛に関係する言葉ではありませんでした。
戦国時代の頃には、戦乱に巻き込まれたり、重税や貧困などの影響から、ほかの土地へ逃げることを「欠落(かけおち)」と呼んでいました。
元々は村であったり集団から「欠け落ちる」という意味だったのが、ほかの土地へ「駆け込む」という意味になり「駆け落ち」となりました。
そして、男女が失踪してほかの土地へと移り住むことを「駆け落ち」と呼ぶようになったのです。

ハネムーンといえば新婚旅行という意味で知られていますよね。
しかし、実は昔はハネムーンといえば駆け落ちのことだったってご存じでしたか?
古代スカンジナビアなどでは、結婚のほとんどが略奪婚だったそうで、結婚が認められるまでは集落などを離れて駆け落ち状態だったのです。
現在のように簡単に食料を手に入れることも出来ませんし、滋養強壮に良い蜂蜜酒を飲むことによって、飢えなどを凌いでいたそうです。
そして、月が満ち欠けするように、夫婦の愛情も欠けたり満たされることもありますよね。
つまり、ハネムーンは蜂蜜酒(ハニー)と月の満ち欠け(ムーン)の言葉が合体して出来た言葉なのです。

*皆様の周りで「駆け落ち」したカップルはいますか?世の中にはどうしようも解決しない事態に巻き込まれ「駆け落ち」するカップルもいるのでしょうね?

本日もよろしくお願いいたします。

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2020年3月29日夕方『新コロナは中国が意図的に作った菌』と書いたら『5,000本』あった記事を全部消されましたので『ゼロ』からID(アドレス)を作り直しました。『私のブログに登録』してくださった皆様には大変ご迷惑をおかけしました。改めてよろしくお願い申し上げます。

『3・11』の時『東日本震災の真実』を書いた時もブログ10,000本を民主党政権に抹殺されました。

これからも負けずに書いていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。

*今日の記念日は他にもあります。

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