終戦記念日・刺身の日・お菓子の日「今日は何の日・8月15日」

8月15日月曜日

皆様おはようございます。毎日暑いですね!水分補給は充分ですか?エアコンは順調ですか?豪雨に巻き込まれていませんか?

今日は「終戦記念日」「刺身の日」「お菓子の日」です。

まず「終戦記念日」から。

なぜ8月15日が「終戦記念日」なのかというと、1945年8月15日正午に昭和天皇による玉音放送によって日本が無条件降伏したことが国民に伝えられたことが由来となっています。
この放送もって長く続いていた第二次世界大戦が終結しました。
前日の1945年8月14日には政府によってポツダム宣言が受諾されていました。
内務省による発表では第二次世界大戦にける戦死者の数は約212万人とされていて、空襲などによる死者は約24万人となっていて、多くの尊い命が犠牲となりました。
1963年からは毎年のように政府主催による「全国戦没者追悼式」が行なわれていて、正午から1分間をかけて戦争による犠牲者に黙祷が捧げられています。
「終戦記念日」については1982年4月の閣議決定により「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とされています。
現在では歴史の教科書で学ぶことはあっても、数十年まで日本が世界大戦に参加していたなんて想像もつかないですよね。
更に、まだ日本には戦争を経験した人がたくさん残っているというのにも驚いてしまいます。
また同じような悲劇が繰り返されないように人間は歴史から様々な事を学ばないといけないですよね。

サランラップといえば食べ残したおかずを保存するのに使われたり、料理の時に残った材料を小 分けに保存する時に重宝していますよね。
しかし、実はサランラップは食品保存用に開発されたものではなく、元々は軍事用に開発されたものだって知っていましたか?
サランラップが開発されたのは20世紀初頭だとされていて、その時は食品保存のためなどと考えておらず、当初から軍事利用するために開発されていました。
サランラップは水分を通さないことから、熱帯雨林を行軍する時の靴の中敷きに使用されたり、太平洋戦線では蚊から身を守るために蚊帳として使用されていたり、銃や弾丸が濡れたり湿気で使えなくなったりするのを防ぐのにもサランラップが使われていました。
やがて戦争が終結すると、ラップの製造メーカーに勤めていた職員の奥さんがラップを食品保存用に使い始めました。
その職員の妻の名前が、「サラ」と「アン」であったことから「サランラップ」という商品名が誕生したとされています。

戦争は一度始まってしまうとどちらもなかなかひくことが出来ずに長引いてしまい、結果として泥沼のように戦争が続いてしまうイメージがありますよね。
しかし、歴史上にはわずか40分で終了したとても短い戦争が存在しているのです。
わずか40分で終了となった戦争は1896年に起きた「イギリス・ザンジバル戦争」といいます。
その名の通りイギリスとザンジバルという国の戦争だったのですが、ザンジバルは19世紀初頭にはアフリカの東海岸を支配する列強国でした。
その後にヨーロッパの国々がアフリカに進出するようになり植民地支配が進むにつれて小国となっていきました。
なぜ40分という短い時間で戦争が終わったのかというと、イギリスの兵力と軍事力が圧倒的だったために、ザンジバル側がすぐに降服したからだとされています。
「イギリス・ザンジバル戦争」については最も短い時間で終結した戦争としてギネスブックにも登録されています。

*ある一人の馬鹿(権力者)により国民が被害を被ることがあってはなりません!このようなわがままな権力者は21世紀になった今でも存命しております。戦争は絶対にいけません!!

次に「刺身の日」について。

なぜ8月15日が「刺身の日」なのかというと、1448(文安5)年に刺身が初めて文書に登場したことが由来となっています。
刺身という食べ物が初めて登場した文書は室町時代後期の書記官・中原康冨によって書かれた日記でした。
1448(文安5)年8月15日の日記によると「鯛なら鯛とわかるやうにその魚のひれを刺しておくので刺し身、つまり「さしみなます」の名の起り」とされています。
これが初めて文書に登場する刺身に関する記録だとされています。
日本は古来よりも肉食の文化ではなく魚を中心とした食文化だったので、生の魚が食べられるようになったのが室町時代に入ってからだとは結構意外ですよね。
文書としては登場していないだけで当時の漁師などは普通に魚を焼かずに食べていたんですかね。
魚を捌いて刺身にするのにはそれなりの技術がいるため、そもそも「刺し身」という料理がまだ存在していなかった以上、現在のように魚を生魚を捌いて身を奇麗に切り分けるといった発想自 体がなかなか生まれなかったのかもしれませんね。

刺身という言葉を当たり前のように使っていますが、よくよく考えると刺身という料理名は不思議だと思いませんか?
刺身は刺して調理されるものではなく、切って調理されるものなのになぜか料理名は「刺身」であり、普通は「切身」という料理名になりそうですよね。
これは刺身が誕生したころにはまだ武家社会だったことが影響しています。
魚を捌く際には腹を切って調理しますが、「切腹」がまだ存在していた武家社会では腹を捌いて切って作られた「切身」なんて料理名があったら相当縁起が悪いですよね。
そのため、「切身」ではない別の言葉が採用されて「刺身」となったのでした。
また「刺身」の事を「お造り」と呼ぶこともありますが、これは地域による差であり、関西地方 では「切身」が切腹と同じ理由で縁起が悪いことから「お造り」という言葉が誕生して使われるようになったのでした。


刺身には様々な種類があって、日本人の食文化には欠かせないものですよね。
しかし、うなぎの刺身って全然見かけないのはどうしてなのでしょう。
実はうなぎの血液にはイクチオヘモトキシンという毒が含まれているのです。
この毒は人間の体内に入ると、呼吸困難が起きたりしてしまいます。
ただし、60℃以上で5分加熱すると毒がなくなる為、蒲焼など熱処理された料理は安心して食べることができるのです。
また、生食だと絶対に食べられないという事でもなく、うなぎの血を綺麗に洗い流すことの出来る技術を持った人が調理をすれば刺身でも食べることが出来ます。
このような技術を持った料理人がいるお店はなかなか少ないと思うので、うなぎの刺身を出しているお店をみかけたら一度行ってみてはいかがでしょうか?

*皆様は「お刺身」を召し上がっていますか?最近の子は小さなころから「刺身」を食べているのですから贅沢な気がします。まぐろもいつか食べられなくなる日が来ますからね。

最後に「お菓子の日」について。

なぜ毎月15日が「お菓子の日」なのかというと、和歌山県の橘本神社と兵庫県の中嶋神社の例大祭が制定当時4月15日に行なわれていたことが由来となっています。
橘本神社と中嶋神社にはお菓子の神様である「菓祖神」が祀られているんですね。
「お菓子の日」については全国菓子工業組合連合会(全菓連)によって1981(昭和56)年に制定された記念日となります。
例大祭と言われてもあまりピンとこない人も多いかもしれませんが、例大祭はその神社によって定められた日に行なわれる祭祀のことです。
その神社に祭られている神様や、その神社にまつわる特別な日に例大祭が行なわれることが多いそうです。
実は例大祭は俗称であり、正式名称は大祭式例祭(たいさいしきれいさい)となっています。
毎月15日は「お菓子の日」ということで、普段からダイエットなどでお菓子を制限している人 も、この日だけは神様に感謝をする意味合いでお菓子を食べてみてはいかがですか?

現在ではグミといっても様々な食感のものや、色々な味のものが販売されていますよね。
お菓子の定番といってもいいグミですが、実は元々はお菓子として作られたものではなく、歯を強くするために作られたものなんです。
グミが誕生したのは実は結構最近のことで、1920年にドイツのハンスリーゲルによって作られたのが最初だとされています。
当時のドイツでは柔らかい食べ物が多かった事から、子供の噛む力がだんだんと弱まっていき、歯に関する病気を抱える子供が増えていきました。
そこで子供たちの噛む力を強くするために開発されたのがグミであり、あえて硬いものを食べさせることによって子供の歯の病気を予防しようとしたのです。
現在では噛みやすい柔らかいグミも増えていて、歯を鍛えるという目的は忘れられてしまい、普通のお菓子となってしまったのでした。

ポテトチップスの人気は根強く、様々な製菓会社からいろいろな味のポテトチップスが販売されていますよね。
うすしお味やのりしお味など、その名前から味が連想できるものが多いですが、コンソメパンチという味についてはとても不思議な名前ですよね。
普通にコンソメ味ではなく、なぜコンソメパンチにしたのかというと、コンソメパンチ味が開発された時の時代背景に関係があります。
実は「パンチ」という言葉が、コンソメパンチ味を発売した年である1978年の流行語だったのです。
「パンチがきいている」といった言い回しは現在でも残っていますが、このような言葉は元気が良い様や勢いがある様子といった意味で使われていました。
そして、ポテトチップスの味も当時の流行に則り、普通にコンソメ味にするのではなく「コンソメパンチ」という名前にすることによって、より消費者の印象に残るようにしたのです。


*皆様は毎日どんなお菓子を食べていますか?僕はやはりポテトチップスを頻繁に食べてしまいますね。巣ごもり生活でお菓子の需要も増えたとか。まあほどほどにがベターですかね。

今週もよろしくお願いいたします。

★東山凛太朗オフィシャルサイトグランドオープン!!https://higashiyamarintaro.net/

2020年3月29日夕方『新コロナは中国が意図的に作った菌』と書いたら『5,000本』あった記事を全部消されましたので『ゼロ』からID(アドレス)を作り直しました。『私のブログに登録』してくださった皆様には大変ご迷惑をおかけしました。改めてよろしくお願い申し上げます。

『3・11』の時『東日本震災の真実』を書いた時もブログ1,000本を民主党政権に抹殺されました。

これからも負けずに書いていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。

*今日の記念日は他にもあります。

Copyright © STARDUST PROMOTION, INC.All rights reserved.

Copyright © Rintaro Higashiyama.Mamechishiki. All Rights Reserved.

フェイスブック版:https://www.facebook.com/seijibunka

アメーバ版: https://ameblo.jp/higashiyamarintaro/

東山凛太朗特集:https://fika.cinra.net/article/201808-abba

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です