防災の日・二百十日・キウイの日・レビュー記念日「今日は何の日・9月1日」

9月1日木曜日

皆様おはようございます。あっという間に9月!今年も残すところあと4ヶ月ですね!コロナに翻弄されずに頑張りましょう!

今日は「防災の日」「二百十日」「キウイの日」「レビュー記念日」です。

まず「防災の日」から。

なぜ9月1日が「防災の日」なのかというと、1923年9月1日午前11時58分に関東大震災が発生したことが由来となっています。
「防災の日」については伊勢湾台風が襲来した翌年である1960年に閣議決定された記念日となります。
この時期は台風などの水害なども多い季節であることから「関東大震災の惨事を教訓として防災意識を高めること」ということが目的で「防災の日」が制定されました。
この日には全国各地で防災訓練が行なわれているそうです。
常日頃から災害に備えて訓練をしておくことは大切ですし、それ以外にも個人で災害に備えて準備しておくこともとても大切なことですよね。
東日本大震災が発生してからは日本の防災意識は高まったとはいえ、やはり時間が経ってしまえば防災に対する意識は低くなりがちになってしまいます。
数十年以内には日本列島を必ず大きな地震が襲うという発表もされていますし、いざ災害が発生 してからでは自分や家族の身を守るのはとても難しくなってしまいます。
「防災の日」をきっかけにして防災グッズを買ったり、少しでも生存率をあげるような防災の知識を身につけてみてはいかがでしょうか?

皆さんは夜寝る時に枕がどの方角を向いているかを意識したことがありますか?
「北枕」については縁起が悪いとされていますが、実は木造家屋の場合には「北枕」で寝ている方が地震が発生した時に助かる可能性が高いって知っていましたか?
これはおまじないのようなものではなく、しっかりとした根拠に基づいて「北枕」で寝たほうが良いとされているんです。
なぜなら、木造家屋の構造上、北側の方が丈夫に出来ていて、南側の方がもろく出来ている家屋が多いからなんです。
なぜ北側の方が丈夫なのかというと、一般的な家屋は日光を取り込むために南側に窓が集中していることが多くもろくなっているのです。
北側は窓などがあまりなく丈夫に出来ているため、例え家屋が崩壊してしまったとしても頭が無事に済む場合が多く、「北枕」の方が助かる可能性が高いとされているんです。


地震が起きた時に真っ先に考えるのが「どこに避難したら良いか」ですよね。
その時にいる場所にもよりますが、一般的には柱が多いトイレなどが安全とされています。
では一戸建ての家の場合、1階と2階だとどちらが良いのでしょうか。
阪神淡路大震災の時には2階にいた人の方が生存率が高かったようです。
逆に1階にいた人たちは倒壊によりほとんどが圧死してしまいました。
1階の方が出口が多いから助かりそうというイメージもありますが、地震が起きた時には2階で揺れが収まるのを待つ方が良いようです。
また、2階にいたとしても外に出られる手段を持っておかなければなりません。
建物の歪みによって扉が開かなくなってしまう場合もあるので、揺れが一時的に収まったらドアや窓を開けておきましょう。
日本は頻繁に地震が起きる国なので、一人一人が自身の安全を守る術を持っておく必要がありますね。


*防災の日をきっかけに「地震の際の準備」をされてみるのもいいかもしれませんね。

次に「二百十日」について。

「二百十日」とは「にひゃくとおか」と読み、雑節のひとつとなります。
二十四節気のひとつである「立春」を起算日として210日目(立春の209日後の日)が「二百十日」であり、日付では毎年9月1日ごろが「二百十日」となります。
雑節や二十四節気というものについてはあまり耳馴染みがないかもしれませんが、四季以外にも季節を表現する言葉が日本にはたくさんあり、雑節も二十四節気についても季節の移り変わりをより細かくわかりやすいようにした暦日となります。
雑節については「二百十日」はあまり知られていませんが、他には「節分」「彼岸」「八十八夜」など有名なものがたくさんあります。
「二百十日」がどのような季節になるのかというと、この時期には台風や風の強い日が多いとされています。
さきほど毎年9月1日「ごろ」が「二百十日」にあたると書きましたが、うるう年などの関係によって必ずしも9月1日が「二百十日」となるわけではありません。
8月31日に「二百十日」となる年もありますが、ごく稀に9月2日が「二百十日」となる年もあります。
この時期はまだまだ残暑が厳しく、台風などの水害も多い季節となりますのでくれぐれも注意してください。

日本以外にも台風に見舞われる国があり、アメリカを襲う台風については「カトリーナ」や「パトリシア」、「サンディ」など人名が付けられていますよね。
日本を襲う台風については「台風~~号」などと呼ばれることが多いのですが、実は日本を含めてアジアで発生している台風にもアメリカと同様に名前がつけられているって知っていましたか?
実は本を含むアジア各国が加盟した「台風委員会」と呼ばれる政府間組織が、平成12年(2000年)より北西太平洋または南シナ海の領域で発生した台風について名前をつけているのです。
台風の名前はあらかじめ140個が考えられていて、台風が発生した順番に名前が割り振られていくようになっています。
平成12年に発生した台風第1号にはカンボジアで「象」を意味する「ダムレイ」という名前が割り振られました。
台風は年間で平均して25.6個発生するとされているため、140個の名前が全て割り振られて元の順番に戻ってくるのには5年間がかかります。
ちなみに、日本が名付けた台風の名前は「テンビン」「ヤギ」「ウサギ」など星座を参考にしたものとなっています。

台風は時期が重なると一気に二つから三つが発生することがありますよね。
そこで、「台風と台風がぶつかりあうことによって更に強力な台風になるのでは?」と考えた事がありませんか?
実は台風がぶつかりあって更に強力な台風になるということはないそうです。
そもそも台風は一つだけでも強力な力を持っており、二つがある一定の距離まで近付くと、お互いが影響しあうことによって複雑な動きをはじめて、その後は一定の距離を保ちつつぶつかることはないそうです。
また、大きさがあまりにも違いすぎる二つの台風が存在している場合には、小さな台風が大きな台風に吸い寄せられることもあるそうです。
しかし、吸い寄せられて吸収されたとしても元の大きな台風の勢力が増すということはありません。

*雑節

日本には、雑節という暦日があります。雑節は、二十四節気や五節供のように中国から伝わったものではなく、日本人の生活文化から生まれた日本独自のものです。
また、貴族や武家の儀式ではなく、主に農作業と照らし合わせた季節の目安となっており、日本の気候風土に合わせてあるため、長い間に培われてきた知恵と経験の集約といえるでしょう。

◆二百十日

「二百十日」(にひゃくとおか)は雑節のひとつ。立春(2月4日頃)から数えて210日目の日で、毎年9月1日頃にあたります。
この頃は稲が開花する重要な時期ですが、農作物に甚大な影響を与える台風に見舞われることも多い時期です。そこで、過去の経験から、農家にとっては油断のならないこの日を厄日として戒めるようになりました。それは農家だけでなく、漁師にとっても出漁できるかどうかとともに、生死に関わる問題でもありました。

1.風祭りと風習
農作物を守るために風を鎮めるための風祭りは全国各地に残っています。
特に有名なのが富山市八尾町で行われる風祭り、越中八尾「おわら風の盆」。独特の風情が人気を呼び、小説や歌にも数多く登場しています。
越中八尾「おわら風の盆」は、風を鎮める豊年祈願と盆踊りが融合し、娯楽のひとつとして愛しまれてきたお祭りで、300年以上の歴史があります。坂の町・八尾の古い街並みに哀愁をおびた胡弓の音色が響き、「越中おわら節」にのせて、編み笠をかぶった男女が踊り歩きます。誰もが楽しめる「豊年踊り」、優雅な「女踊り」、勇壮な「男踊り」があり、男女ペアで艶やかに踊ることもあります。
また、鎌が風の力を衰えさせると信じられていたため、屋根の上や軒先に鎌を取り付けたり、竹竿の先に鎌を付けて立てたりする風習もあります。

2.防災の日

9月1日といえば「防災の日」であることも忘れてはいけません。
「防災の日」は1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災にちなんで1960年(昭和35年)に制定されました。犠牲者の慰霊とともに、災害に備えて避難訓練や防災用品の点検などを促す日でもあります。
「防災の日」が制定される前年には、伊勢湾台風(死者・行方不明者およそ5100人、負傷者およそ39000人)が襲来しています。これをきっかけに災害対策基本法が制定されました。関東大震災のときも、風の影響で火災が広がったそうです。

こうしてみると、昔からの厄日「二百十日」は単なるの人の経験知だけではなく、近代の日本の自然災害とも深く結びついているようです。
この時期は台風被害の多い時期ですが、いついかなる時に異常気象による災害や震災に見舞われるか、現代科学の力を持ってしてもわかりません。
「防災の日」をきっかけに、非常持ち出し袋の点検や、家族との連絡方法、避難所、避難経路、家族との待ち合わせ場所など、ぜひ確認しておきましょう。

次に「キウイの日」について。

なぜ9月1日が「キウイの日」なのかというと、9月1日という日付が「キュー(9)イ(1)」という語呂合わせであることが由来となっています。
「キウイの日」についてはニュージーランド産キウイフルーツの輸入等を行っているゼスプリインターナショナルによって制定された記念日となります。
CMなども放送されているとおり、日本で販売されているキウイといえば「ゼスプリ」のイメージがありますよね。
ゼスプリインターナショナルによると「キウイを食べて多くの人に健康になってもらいたい」との願いから「キウイの日」を制定したそうです。
実はキウイは「元気フルーツ」と呼ばれているとおりとても栄養価が高く、特にこの時期に夏の暑さで疲れがたまっていたり、肌が弱っているのを助ける効果があるんです。
実際にキウイを毎朝食べているととても健康に良いとされていて、朝にキウイを食べているという人も多いですよね。
ゼスプリインターナショナルが輸入している「ゼスプリゴールドキウイ」については実は旬は11月~1月となっていますが、この時期にも充分美味しいキウイが楽しめますので、ぜひ健康な身体を目指してキウイを食べてみてくださいね。

キウイを食べる時の定番の食べ方として、キウイを半分に切ってスプーンで中身をえぐって食べているという人が多いのではないでしょうか。
少し面倒ですが皮を包丁で剥いて食べるという人もいますよね。
しかし、キウイを食べる時に残してしまっている「皮」なんですが、実は食べられるって知っていましたか?
日本ではあまり知られていませんが、ニュージーランドやオーストラリアなどの国々ではキウイはむしろ皮ごと食べるのが常識とされているのです。
しかも皮にはたくさんの栄養が含まれているため、むしろ皮は積極的に食べた方がよく、食べないで捨ててしまうのはとてももったいないんですね。
キウイの皮には果肉の部分の3倍のポリフェノールが含まれているため、骨粗しょう症の予防、更年期障害の改善、ガン予防、動脈硬化の防止、など様々な効果が得られるのです。
抵抗があるかもしれませんが、むしろキウイの皮は意外と甘みが強くて想像以上に食べやすいという人もいます。
しかし、キウイの皮には産毛があるため、それが気になるという人はジューサーなどにかけてジュースのように丸ごと食べてみると良いかと思います。

キウイはニュージーランドが原産のイメージがありますよね。
また、ニュージーランドにいる鳥「キウイ」に似ていることからその名がついたという話も聞いたことがあるのではないでしょうか。
しかしキウイはもともと別の名前だって知っていましたか?
もとは「チャイニーズグーズベリー」という名前で、そもそもが中国原産なのです。
中国からニュージーランドに持ち込まれた際に原産国の名前をとってこの名前が使われていたようです。
その後、ニュージーランドで品種改良が行われ、これをアメリカに輸出する際に「キウイ」と名付けられました。
名前を変える必要があったのも、当時の中国とアメリカの国際関係が良くなく、「チャイニーズ」という文字を入れたくなかったようです。
今となってはとても一般的なフルーツとなったキウイですがこんな歴史を持っていたのですね。


*皆様は「キウイ」を食べていますか?僕は1日おきに夕食後に「キウイ」を食べています。美味しいですよね。今の季節にぴったりです。

最後に「レビュー記念日」について。

なぜ9月1日が「レビュー記念日」なのかというと、1927年9月1日に宝塚少女歌劇団が日本初のレビュー「モン・パリ-吾が巴里よ-」の初演を行なったことが由来となっています。
「レビュー記念日」については宝塚歌劇団によって1989年に制定された記念日となります。
この日には、宝塚大劇場で本公演に引き続いてミニ・ショーを行うなどイベントが開催されているそうです。
「レビュー」という言葉自体は最近では「評論すること」や「批評して論じること」、または「チェックを行なう」といった意味合いで使われている言葉ですよね。
しかし上記の意味合いで使われている「レビュー」は英語の「review」が由来となっているのに対して、宝塚などで使われる「レビュー」はフランス語の「revue」が由来となっています。
フランス語の「レビュー」は「音楽やコント踊り等で構成された華やかで洒落ていて時事風刺の効いた舞台エンターテイメントショー」という意味合いで使われる言葉であり、宝塚のファンだという人にとっては演劇などで使われる「レビュー」という言葉は一般的なのではないでしょうか。
ミニ・ショーなども行なわれるそうなので、興味のある方はぜひ宝塚の観劇に足を運んでみてはいかがでしょうか。

宝塚といえば女性しか所属していない歌劇団であることは有名であり、所属している女性は「タカラジェンヌ」という愛称で呼ばれていますよね。
そんな宝塚歌劇団なのですが、実は一時期だけ男性が在籍していた時期があったって知っていましたか?
男性が宝塚歌劇団に在籍していた時期は終戦直後である1945年のことでした。
当時の宝塚歌劇団には「男子部」というものが存在していました。
主な役回りはコーラスであったり馬の脚の役であったり、俳優として出演するのではなく裏方仕事が多かったそうです。
しかし、宝塚歌劇団のファン層にはこの「男子部」は不評であって、「男子部」は冷ややかな目で見られていたそうです。
そして「男子部」については約8年で解散することとなりました。
今や女性だけの歌劇団として有名な宝塚歌劇団に、一時期だけでも男性が在籍していたっていうのはとても意外ですよね。

そもそも宝塚歌劇団にはなぜ女性しかいないのか不思議に思った事はありませんか?
しかも宝塚歌劇団で活動している女性は独身だけではならないなど不思議なルールが多いですよね。
これはもともと宝塚歌劇団が温泉施設の娯楽として、少女のみの出演者による「宝塚唱歌隊」として創設されたことが由来となっているのです。
「宝塚歌劇団」を創設したのは小林一三さんという人物であり、阪急電鉄の創始者でもありました。
宝塚沿線を開発する際に「宝塚唱歌隊」が誕生したわけですが、当時は清く正しい女性を育成するための花嫁養成学校のようなものだったそうです。
そのため、その頃の名残りで宝塚歌劇団は女性だけの歌劇団になっていったそうです。


*皆様は「レビュー」を観に行かれたことがありますか?僕は小さいときに浅草生まれの親父に連れて行ってもらったことがあります。

今月も宜しくお願いいたします。

★東山凛太朗オフィシャルサイトグランドオープン!!

https://higashiyamarintaro.net/

2020年3月29日夕方『新コロナは中国が意図的に作った菌』と書いたら『5,000本』あった記事を全部消されましたので『ゼロ』からID(アドレス)を作り直しました。『私のブログに登録』してくださった皆様には大変ご迷惑をおかけしました。改めてよろしくお願い申し上げます。

『3・11』の時『東日本震災の真実』を書いた時もブログ1,000本を民主党政権に抹殺されました。

これからも負けずに書いていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。

*今日の記念日は他にもあります。

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