4月6日は『ABBAの日』です!!

本日4月6日は『ABBAの日』です!!

ABBAオフィシャルファンクラブとユニバーサルミュージックが制定した日です。

1974年4月6日、欧州最大の音楽コンテスト『ユーロヴィジョン・ソング・コンテスト』でABBAが「恋のウォータールー」を披露し、見事にグランプリ(優勝)を獲得したことに由来しております。ABBAは1972年から活動していましたが、この1974年『ユーロヴィジョン』での優勝により〝世界デビュー〟を果たしました。

ABBAのメンバーはベースのビヨルン(ABBAのリーダー)、キーボードのベニー、ヴォーカルのアグネタ、同じくヴォーカルのフリーダ(アンニ=フリード)の4名で構成されておりますが、4名はそれぞれスウェーデン音楽界でTOPの地位におりました。ビヨルンはフォークグループ『フーテナニー・シンガーズ』のリーダー、ベニーは〝スウェーデンのビートルズ〟と言われていたロックグループ『ヘップスターズ』の作曲者兼キーボード、アグネタは日本で言えば安室奈美恵的存在でスウェーデン歌謡界の歌姫、そしてフリーダはスウェーデンジャズ界のTOPシンガーでした。分野(フォーク、ロック、ポップス、ジャズ)が違う4名がグループを組んだわけです。日本で言えば、小室とつんくと安室奈美恵と宇多田ヒカルがグループを結成したと思っていただければ、いかに凄いことだったか?おわかりになるかと思います。

1974年までABBAは『ビヨルン&ベニー、アグネタ(アンナ)&アンニーフリード(フリーダ)』という、ただ自分たちの名前を連ねただけのグループでした。そうです、本人達もスウェーデン国民も、この4人のスウェーデンを代表するシンガーが『本気』でグループを結成して世界に羽ばたくとは思っていなかったのです。当初は4名の中で一番人気があったビヨルンでした。ゆえに初期のABBAの曲でビヨルンがヴォーカルを務めることが多い理由はそういうことでした。アグネタとフリーダはな、なんとバックコーラスだったのです。

事実、1972年、日本で開催された『世界歌謡祭』では当時デュオを組んでいたビヨルン&ベニーのバックコーラスでアグネタとフリーダも来日しています。

4人は時間さえあれば、ギター片手に公園で自分たちの好きな歌を歌っていました。そんな、ある日、ビヨルンがアグネタとフリーダに「二人で歌ってみなよ」と何気に言ったのが『ABBA誕生の始まり』となりました。何という素晴らしいハーモニー!何という心地よさ!ビヨルンはその時のことを「頭のてっぺんから足の先まで稲妻が走ったよ」と表現しています。そうして、アグネタ・フリーダがツインヴォーカルとなる今のABBAのスタイルが誕生したのです。1973年『ユーロヴィジョン・ソング・コンテスト』のスウェーデン大会に4人は参加しました。披露した「リング・リング」は観客の度肝を抜き、「スウェーデン代表はこの4人に決定ね」と思っていたのですが、ユーロビジョン・スウェーデン国内大会でロック又はポップスで代表になったミュージシャンは一人(一組)いません。そこで審査員はこの4人が歌った「リング・リング」を3位にしました。観客はショックを受けました。しかしどうでしょうか?その後、スウェーデンの音楽界でとんでもないことが起こったのです!!4人が出した「リング・リング」シングルスウェーデン版、「リング・リング」シングル英語版、そしてアルバム『リング・リング』がスウェーデンチャート1位、2位、3位を独占し、スウェーデン音楽界の重鎮達は『ユーロヴィジョン・ソング・コンテスト・スウェーデン大会』の審査員に激怒!「お前達が3位にした彼らは今やスウェーデンを代表するグループじゃないか!」そうしてこの審査員達は全員クビになりました。

ビックリしたのはビヨルン達でした。ABBAの初代マネージャーであり、ポーラー・ミュージックの社長、スティッグ・アンダーソンとビヨルン、ベニーは「もしかしたら世界を目指せるのではないか?」と急に野心が芽生え始め、レコード会社が違った4人は『本格的』にグループで活動することになったのです。まずはグループ名からの改善が必要でした。TVの歌番組で司会者が「さあ、今度登場するのは『ビヨルン&ベニー、アグネタ&アンニ=フリード』です!」と言うたびに、グループ名の長さにうんざりしており、マネージャーのスティッグ・アンダーソンは考えたあげく、ABBAというグループ名に決めました。メンバー達は誰も反対しませんでした。ただすでに「魚缶詰会社」でAbbaという会社が存在していましたが、特に新グループ名にイチャモンつけることなく、1974年からABBAという名前で活動していくことになったのです。ちなみにABBAの最初のAはアグネタの名前の頭文字のA、次のBはビヨルンの頭文字のB、次のBはベニーの頭文字のB、そして最後のAはアンニ=フリード(通称フリーダ)の頭文字のAです。

その後のABBAの活躍は言わずもがなですね。1970年代『世界で一番レコードを売ったのはABBA』であり、現在まで3億8千5百万枚のレコード・CD・カセットテープ・DVDの売り上げがあり(『マンマ・ミーア!』『CHESS』などのミュージカルCDの売り上げは除く)プレスリー、ビートルズ、マイケル・ジャクソンの10億枚に続く〝世界第4位〟のセールスを記録しております。

1983年ABBAは活動停止しましたが、日本はもとより世界の音楽評論家・音楽関係者は「アバは1982年に解散した」と豪語し、〝世界でただ一人筆者だけ〟が「ABBAは1983年に活動停止しただけで解散していない」と抗議したところ、35年の長きに渡り、日本・世界中の音楽関係者から「嫌がらせ」「いじめ」「差別」を受けてきました。

それがどうでしょう。2018年4月27日、ABBAが突然「僕たちは1983年から活動停止しただけだよ」「今度、新曲を出すんだ」と発表した途端、急に筆者に対する「いじめ」が(一時的に)激減し、「東山は世界最高のABBAファンだ」とか「東山は世界唯一のABBAジャーナリスだ」と急に周りが態度を変え始め、ABBAと北欧のメディアから筆者は『欧州以東(日本)における唯一のABBA研究者』という称号をもらい、現在に至っています。

筆者はABBA(『マンマ・ミーア!』『CHESS』も含める)に使った取材費は高校生の時から現在まで『5000万円強』。実にサラリーマン生涯賃金の3分の1以上をスポンサーなしで取材してきました。

ABBAが復活するとわかると、元ABBAファンは筆者に「謝罪」することもなく、今度は筆者が運営しているABBAオフィシャルファンクラブを潰そうと「アバに異常な愛を持ったある人」を中心に相当の「嫌がらせ」を受けてきて、ついに筆者は『障害者2級に』なってしまいました。

前述したように、実に「35年もの長きに」に渡り「ABBAは解散していない!」「ただ活動停止しただけだ」と‶世界でただ一人〟言い続け、世界中から「非難」を浴びてきましたが、ABBAがカムバック宣言してから現在までの方が「その何百倍」攻撃を受けています。

ナイフが自宅に送られてきたり、勤務先やユニバーサルミュージックジャパンに筆者の「いたずら」「嫌がらせ」電話が後を絶ちませんでした。「警察」に通報され、警察は筆者の自宅を無理やり「家宅捜索」したことも一度や二度ではありませんでした「アバに異常な愛を持った人」は筆者をこの世から抹殺したいようです。それでも筆者は負けじと取材してきました。

そして!ついに9月2日木曜日ABBAは英国時間午後17時45分にカムバックを果たしました。

今年の3月29日火曜日、ABBAは結成(デビュー)50周年を迎えました!

残念ながら「グラミー賞」は逃しましたが、そもそも「デビューして50年も経つのに今頃ノミネートかよ」、と思われた『真のABBAファン』も多いことでしょう。そんなとってつけたノミネートでグランプリを受賞できるはずもありません!

「コロナ」「コロナ」と暗い日が続いていますが、今日は是非、ABBAの曲を聴いてみて下さい。少しは気分が晴れるかもしれませんよ。

以下『ABBAの名曲』をセレクトしました。お楽しみ下さい!!

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