ABBAの名曲ベスト25選

1970年代、ラジオを席巻したスウェーデンのポップ界の巨匠たち。氷と雪の国からやって来た侵略者のように、彼らは当時最も売れたアーティストとなった。ビヨルン、ベニー、アグネタ、フリーダ──まるで北欧版のフリートウッド・マックのようだった。白いパンツスーツに厚底ブーツを履いた2組の夫婦が、別れと崩壊を歌い上げながら次々にヒットを連発していった。

そのきらびやかな表面の裏には、葛藤と絶望が渦巻いていた。しかし彼らのヒット曲はほんの入り口に過ぎない。アルバムの中には、埋もれた宝石のような楽曲が多数存在する。活動初期の世界的成功から何十年経った今でも、彼らはこれまで以上に人気を集めている。ここでは、スウェーデンの神々への敬意を込めて、ABBAの楽曲ベスト25をランキング形式でご紹介しよう。ヒット曲も失敗作も、深掘り楽曲もファンの定番も、崇高なものも馬鹿げたものも──夜はまだ始まったばかり、音楽は最高潮だ。

*1974年、ストックホルムで撮影されたこの写真は、スウェーデンのポップグループABBAのメンバー、(左から右へ)ベニー・アンダーソン、アンニ=フリード・リングスタッド、アグネタ・フォルツコグ、ビヨルン・ウルヴァースが、楽曲「恋のウォータールー」でスウェーデン国内のユーロビジョン・ソング・コンテストを制した後にポーズをとっている様子を写しています。

── スウェーデンの伝説的ディスコグループABBAは、2018年4月27日、最後のシングルから35年を経て再結成し、新曲を2曲レコーディングしたことを発表しました。この4人組は、「恋のウォータールー」「ダンシング・クイーン」「マンマ・ミーア」「スーパー・トゥルーパー」など数々のヒット曲で10年以上にわたりディスコシーンを席巻したのち、1982年に活動停止しました。※クレジット:OLLE LINDEBORG/AFP/Getty Images

25位.「スーパー・トゥルーパー(Super Trouper)」(1980)
ビヨルンは前髪のある方。ベニーは髭の方。アンニ=フリードはブルネット、アグネタはブロンド。ビヨルンとベニーが曲を作り、アンニ=フリードとアグネタが主に歌った。ビヨルンはアグネタと、ベニーはアンニ=フリードと結婚していたが、いずれも離婚。こうして生まれたのが「スーパー・トゥルーパー」のような心をえぐるバラードだ。舞台に立つディーヴァが、孤独なツアー生活に苦しみながらも、「食べて寝て歌ってばかり/毎回のステージが最後になればいいのに」と嘆く。それでもステージに上がれば痛みを飲み込み、ファンの前では笑顔を見せる。それがスターというもの。華やかな仮面の裏にある中年の苦悩──それこそがABBAの物語なのだ。

24位.「 ディスイリュージョン(Disillusion)」(1973)
デビューアルバムに「幻滅(Disillusion)」という曲を入れるなんて、他に誰がいるだろう? ABBAの闇の深さは、初めから明らかだった。これはアグネタが唯一、作曲クレジットを得たABBA曲であり、彼女はすでに悲劇の到来を予感しているかのように歌っている。

23位. 「アンダー・アタック(Under Attack)」(1982)
1980年代の幕開けとともに、「アンダー・アタック」は彼らの“最後の戦い”となった。これは1982年末にリリースされた別れのシングルであり、同時期に発売されたベスト盤『The Singles: The First Ten Years』に収録された。だが当時、メンバーたちは「次の10年」がないことをすでに知っていた。両カップルの離婚も成立し、売上も下降線をたどる中、これはまるで幻の恋人に追いかけられる悪夢のような、冷たいシンセ・ポップ幻想曲だ。ボコーダーによるフックが不気味さをさらに引き立てる。

22位. 「ホール・イン・ユア・ソウル(Hole In Your Soul)」(1977)
工業的なシンセとギターがぶつかり合うプロトタイプのようなサウンドに、「ロックンロールでなきゃダメだ! 魂の穴を埋めるには!」と叫ぶコーラス。若きトレント・レズナー(Nine Inch Nails)はこれを聴いていたに違いない?(いや、絶対に聴いていただろう。)アート・ロック志向の1977年作『The Album』に収録されたこのディープ・カットは、“Pretty Hate Machine”の先駆けのような雰囲気を持つ。

21位. 「ホエン・アイ・キィスト・ザ・ティーチャー(When I Kissed The Teacher)」(1976)
ABBAの作品には、疎外感(「Sitting in a Palmtree」)、悲哀(「Tropical Loveland」)、人類絶滅への恐怖(「Happy New Year」)など、暗いテーマが詰まっている。しかしこの曲はスウェーデンの教育制度に切り込んだ作品だ。女学生が魅力的な幾何学の先生に我慢できず、ついにキスしてしまうというバブルガム・ポップ的な一曲。「あの時代って本当に奇妙だった」と思わせる佳作。

20位.「ギミー!ギミー!ギミー(Gimme! Gimme! Gimme! (A Man After Midnight))」(1979)
ABBAのナイトライフのダークサイドが垣間見える。切迫感のあるエレクトロ・ストリングスは、ストックホルムのアフターバーで繰り広げられる性的な放蕩を予感させる。「Gimme! Gimme! Gimme!」のデス・ディスコ・サウンドは、80年代のユーロ・スリーズ系ダンスミュージックに多大な影響を与えた。例えば、スウェーデンのバンドThe Leather Nunが1986年にこの曲をカバーし、地下クラブの猥雑なアンセムに仕上げた(このバンドは過激な歌詞で知られる「F.F.A.」で有名)。マドンナは2006年のカムバック・ヒット「Hung Up」でこの曲のシンセ・フックをサンプリングし、原曲の狂おしいほどの享楽性を見事に再現している。

19位. 「ダム・ダム・ディドル(Dum Dum Diddle)」(1976)
ABBAお得意の三角関係。地味な女の子が、彼女に見向きもしないバイオリン弾きの男の子に恋をしてしまう。「あなたは悲しげで/バイオリンを弾いてるときだけ笑顔なの」と歌う彼女。いつかバイオリンの代わりに彼の心をつかめる日が来るのか? それとも「ダムダム・ディドル、あなたの可愛いフィドル(バイオリン)」と歌い続けるのか? この曲には、ABBAが1970年代の若者たち──カート・コバーンのような──のヒーローになった理由が凝縮されている。カートはABBAのトリビュート・バンド「Bjorn Again」をNirvanaのオープニング・アクトに招いたほどだ。

18位. 「ワン・オブ・アス(One Of Us)」(1981)
1977年、ABBAのマネージャー、スティッグ・アンダーソンは、スウェーデンの巨匠イングマール・ベルイマンに「自国のポップ音楽を映画に使ってはどうか?」と尋ねたという。ベルイマンは返事をせず、その次の映画に『沈黙』というタイトルを付けた。ベルイマンとアグネタのコラボは実現しなかったが、「One Of Us」はまさにベルイマン的メロドラマ──『ある結婚の風景』を明るいトロピカルビートに乗せたような作品だ。この曲は、両カップルの離婚成立後、最初にリリースされたシングルで、Ace of Baseの誕生にも影響を与えた。ちなみに、シェールがリリース予定のABBAカバーアルバムでこの曲を取り上げることを発表している。まさに彼女にぴったりの一曲だ。

17位. 「キングコングの歌(King Kong Song)」(1974)
グラムロック的なパワーコードが炸裂する、イカれたような一曲。「キングコングの歌を歌うよ、さあ一緒に歌おう/猿の太鼓の音が聞こえないか?」まさに1970年代前半の英国チャートを席巻していたSladeやThe Sweetのようなグリッター・バンドの雰囲気だが、やはりABBAは常に独自の道を歩んでいた。「これから歌うのはちょっとファンキーだよ」と警告しておきながら、“ちょっと”の意味を永遠に拡張するのが彼らの流儀。

16位. 「マネー、マネー、マネー(Money, Money, Money)」(1976)
ビヨルンはスウェーデンの清廉なフォークグループ「フーテナニー・シンガーズ」で音楽キャリアをスタートさせた。「最悪のバンド名だよ。唯一それを上回るダサさがあるとしたら、ABBAかもね」と彼自身が語っている。この曲には、中央ヨーロッパのシュラーガー(大衆歌謡)的な合唱スタイルが色濃く表れており、アメリカのリスナーにはエキゾチックかつ異質に響いた。しかし、どんなにチープなシュラーガー風味であっても、金銭欲に対して冷徹な視線を向ける彼らの姿勢はブレない。「この世は金持ちのもの」と歌うこの曲は、ボルボに次ぐスウェーデン最大の輸出品であるABBA──そして『マンマ・ミーア!』の主役たち──にふさわしいテーマだ。

15位.「ザ・デイ・ブフォア・ユー・ケイム(The Day Before You Came)」(1982)
伝統的に、偉大なポップグループが最後に録音する楽曲は凡作になりがちだ──ビートルズの「I Me Mine」やスミスの「I Keep Mine Hidden」のように。しかしABBAのスタジオでの最後の瞬間は、異様でダークな名曲だった。アグネタがスウェーデンの事務員の日常を分単位で淡々と語る。「最新のマリリン・フレンチの小説か、あの系統の何かを読んでいたわ」と。
彼女は、そんな退屈な日常がもうすぐ一変することを知らない。良い方向に? それとも悪い方向に? 答えは語られない。
この曲は、まるでデペッシュ・モードの『Violator』時代の音楽のよう──「Policy of Truth」や「World In My Eyes」の下書きのようにも聞こえる。アグネタはスタジオの明かりを消して歌い終えると、そのまま静かに立ち去った。それこそが完璧な別れの演出だった。

14位. 「タイガー(Tiger)」(1976)
ABBAの楽曲の中でも最高のロックナンバーは、アグネタとアンニ=フリードが自分たちの性的な魅力の“獰猛さ”を警告するようなものだ(「Rock Me」や「Bang-a-Boomerang」も同様)。「Tiger」では、彼女たちは都会のジャングルを徘徊する猛獣のように、獲物(=男)を求めて夜の街をさまよう。「もしあなたに会ったら? もしあなたを食べてしまったら? 私はタイガーよぉぉぉ!」と絶叫する。最後の叫び声は鳥肌もの。

13位. 「サンキュー・フォー・ザ・ミュージック(Thank You For The Music)」(1977)
冒頭の一節からして秀逸。「私は特別なんかじゃない、むしろちょっと退屈な人間」。ABBAが自らの哲学を最も素直に表現した、音楽そのものへの愛を誓うバラード。この曲とRushの「The Spirit of Radio」を比較すると、両者に意外な共通点が見えてくるかもしれない。ABBAはスウェーデンのRushなのか? それともRushはカナダのABBAだったのか?

12位. 「悲しきフェルナンド(Fernando)(1976)
「聞こえるかい、フェルナンド、太鼓の音が──」。この大ヒットバラードは、キャンプファイヤーの下でギターを弾きながら星空のもと革命に身を投じる戦友たちの物語。映画『マンマ・ミーア!2』では、アンディ・ガルシアが“フェルナンド”という役を演じ、シェールにこの曲を歌わせるための伏線に──あたかも理由が必要であるかのように。ABBAのバージョンの前に、アンニ=フリッドが1975年のソロアルバムでこの曲をスウェーデン語でカバーしており、そこにはビーチ・ボーイズの「Wouldn’t It Be Nice」やボウイの「Life On Mars?」のスウェーデン語版も収録されていた。

11位.「ダズ・ユア・マザー・ノウ(Does Your Mother Know?)」(1979)
ビヨルンがメインボーカルをとる珍しい一曲で、70年代にしては極めて異例なテーマ──若すぎる女性をナンパしないことについての歌。ちょうどロッド・スチュワートの「Hot Legs」、フォリナーの「Hot Blooded」、ニック・ギルダーの「Hot Child in the City」など、“Hot”ばかりがタイトルにつく曲が流行っていた時代にこの曲はラジオで流れていた。スウェーデンのどの村にも「この曲は私のことよ」と信じている60代の女性が一人はいるという。

10位. 「恋のウォータールー(Waterloo)」(1974)
ABBAはもともと、他のスウェーデンのフォークグループと変わらない普通の存在だった。だがこのデヴィッド・ボウイへの露骨なオマージュ曲が、1974年ユーロビジョン・ソング・コンテストのスウェーデン代表となり、全てを変えた。「恋のウォータールー」は大会に勝利し、ABBAに世界的名声をもたらした。英語の発音はまだたどたどしく、「The heeeestory booook~」のように聞こえるが、それもまた魅力の一部。彼らはアメリカの新番組『サタデー・ナイト・ライブ』第5回の放送に登場し、まるでタイタニック号の船上で「恋のウォータールー」を口パクで披露した。

9位. 「テイク・ア・チャンス(Take A Chance On Me)」(1977)
冒頭のアカペラ・パート20秒は、70年代の子どもたちのヘッドフォンを壊すほどの衝撃だった。「チャンスをちょうだい」と誘うこの曲は、アグネタの色っぽい囁き「お願い、チャンスをちょうだい」で頂点に達する。1992年にはエレジャーがカバーし、ABBAリバイバルの火付け役となった。

8位. 「ザ・ウィナー(The Winner Takes It All)」(1980)
映画『マンマ・ミーア!』でも圧倒的なクライマックスを飾るこの曲だが、映画『The Trip』では別の角度から心を打つ。2人の中年男性(スティーヴ・クーガンとロブ・ブライドン)が車内でこの曲を歌いながら、過去の夢や失われた時間について語り合う。ABBAの曲は、人生のあらゆる危機に寄り添ってくれる。

7位. 「ザ・ヴィジターズ(The Visitors)」(1981)
ABBAは活動後期になるほど不穏で奇妙でニヒリスティックになっていった。この80年代の隠れた名曲「The Visitors」は、まるで幽霊屋敷に閉じ込められたようなシンセポップ。冷たく緊張感に満ちた6分間。彼女たちは「この壁は屈辱の苦しみを目撃してきた」と歌い、「クラックアップ!(発狂しそう)」と繰り返す。この曲は映画には使われなかったが、ABBAが最後まで音楽的実験をやめなかった証だ。

6位. 「ヘイ・ヘイ・ヘレン(Hey, Hey Helen)」(1975)
離婚した母親たちへの賛歌──それまでのポップソングでは注目されなかった存在に光を当てた。「Hey, Hey Helen」は70年代のフェミニズムを先取りし、「今どきの女になるために払った代償」を歌う。アンニ=フリードとアグネタが、ベルボトムから飛び出しそうな勢いでヘレンを応援する。KISSの「Calling Dr. Love」はこの曲のリフをパクったという説もあるが、ジーン・シモンズは無類のABBAファンであることで知られている。『マンマ・ミーア!』シリーズでは未使用だが、次回作ではシェール&メリル&クリスティン・バランスキーの3人で絶唱してほしい一曲。

5位. 「マンマ・ミーア(Mamma Mia)」(1975)
ビヨルンとベニーの鉄琴(シロフォン)使いが冴え渡る一曲。「Mamma Mia」は、わずか3分半の中に無数の展開を詰め込んだ、音の万華鏡のような楽曲だ。当時のアメリカのラジオには「ヨーロッパっぽすぎる」として受け入れられず、TOP40入りがやっとだった。だが、今となってはABBAを象徴する楽曲のひとつ。ボウイの『Low』や『Heroes』を聴けば、「Mamma Mia」の影響を感じ取れるはず。

4位. 「エス・オー・エス(SOS)」(1975)
ジョイ・ディヴィジョンや初期ザ・キュアーと並べて聴けば、ABBAのゴシックな側面が見えてくる。「SOS」は、北欧的な哀愁とシンセ・バロックの融合。ピアノの寂しげな音色から、感情の爆発へと向かっていく構成は圧巻。ちなみに、「SOS」は曲名とバンド名の両方が回文(前から読んでも後ろから読んでも同じ)になっている史上唯一のヒット曲。ピート・タウンゼントも「ABBAの曲は中年の問題を歌っている」と語っている。

3位. 「きらめきの序曲(The Name Of The Game)」(1977)
ABBAのプログレ的挑戦ともいえる楽曲。『The Album』に収録されたこの曲では、フリューゲルホルン、教会オルガン、不気味なゴブリン風コーラスまで登場する。シャイな少女が少しずつ自信をつけていく様子を描き、ラストでは「名前を知りたいの!」と叫ぶ。このリリックは、まるで初期テイラー・スウィフトのよう。

*日本で放映のTBS『ABBAスペシャル』では放映カットされている。

2位. 「ノウイング・ミー、ノウイング・ユー(Knowing Me, Knowing You)」(1976)
ライクラ素材のパンツスーツに失恋のドラマ──ABBAの真骨頂。「Knowing Me, Knowing You」は、別れた夫婦が子どもたちが遊んでいた部屋に別れを告げる楽曲。静かな導入から、壮大なメロドラマに一気に加速していく。「あああああ〜」のコーラスで鳥肌が立ち、3分過ぎに一度立ち止まり、振り返ってから再び前を向いて家を去る女性の姿が浮かぶ。

1位. 「ダンシング・クイーン(Dancing Queen)」(1976)
バンドの最も有名な曲が、そのまま最高傑作であることは滅多にない。しかしABBAの場合は、それが当てはまる。「Dancing Queen」は、すべての夢見る人たちへのミラーボールの賛歌。誰の目には冴えない少女でも、心の中ではディスコの女王なのだ。特に「タンバリン…オーイェェェ!」という部分では、アグネタとアンニ=フリードの声が歓喜に満ち溢れる。「誰だってその男になれる」──という一節も、ABBAらしい辛辣なウィット。
あの少女を見て。あの光景を見て。“Dancing Queen”を掘り下げれば、永遠がそこにある。

https://www.yahoo.com/entertainment/articles/25-best-abba-songs-210635550.html

 

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