ABBAの「ダンシング・クイーン」50周年――私たちはなぜ半世紀もの間、「人生最高のひととき」を過ごしてきたのか
50年前、スウェーデンのポップ・グループABBAは、シングル「ダンシング・クイーン」を発売した。この曲は、オーストラリア、アメリカ、ノルウェー、南アフリカなど、15カ国でチャート1位を獲得した。
それから50年が過ぎた今も、この曲はラジオから流れ続け、ロンドンのウエストエンドの舞台で力強く歌われ、カラオケ・パーティーでは歓声とともに熱唱され、マルディグラのパレードを彩り、結婚披露宴では人々を踊らせている。
甘く、少しばかり陳腐にも思えるこの曲は、どのようにして私たちの人生に入り込み、半世紀もの間、その場所に居続けることができたのだろうか。
ヒット曲の誕生
「ダンシング・クイーン」が誕生したのは1975年。ABBAが「恋のウォータールー」でユーロビジョン・ソング・コンテストに優勝し、一躍有名になった翌年のことだった。
ABBAの人気は広がっていたが、音楽界で重要視されていたアメリカ市場では、まだ成功を収められていなかった。そんな彼らにとって、当時勢いを増していたディスコ・ブームは、次なる大きなチャンスだった。
著書『ABBAオール・ザ・ソングス――全楽曲に秘められた物語』の中で、著者ブノワ・クレールは、メンバーのベニーとビヨルンが、ストックホルム近郊のヴィッグソー島にある小屋で新曲を練り上げた際のエピソードを紹介している。
2人はピアノとギターによる粗削りなデモ音源をカセットテープに録音し、マネージャーのスティッグ・アンダーソンと、当時10代だった彼の娘マリーに聴かせた。マリーは後に、その録音について「ひどい出来」だったものの、曲自体は「信じられないほど素晴らしかった」と振り返っている。
ストックホルムのスタジオでは、ベニーとビヨルンがミュージシャンたちとともに、リズミカルなダンス・グルーヴを作り上げていった。その着想源となったのは、ジョージ・マックレーが1974年に発表したディスコ・ヒット「ロック・ユア・ベイビー」だった。
2日後、彼らは「ブーガルー」という仮題の伴奏トラックを完成させた。ABBA研究家のカール・マグヌス・パルムによると、ベニーがこの曲をボーカルの一人、アンニ=フリードに聴かせたところ、彼女は「感動して涙を流した」という。
マネージャーのスティッグは、幸運なひらめきによって曲名を「ダンシング・クイーン」に変更した。
1976年6月、ABBAはスウェーデン国王カールと、間もなく王妃となる婚約者のために開かれた祝賀ガラへの出演を依頼された。まさにその場にふさわしい曲が、彼らにはすでにあった。
その2カ月後、「ダンシング・クイーン」は正式に発売され、瞬く間に世界中を席巻した。
音楽が生み出した魔法
「ダンシング・クイーン」には、綿密に設計し、組み立てるというスウェーデンならではの優れた感性が存分に発揮されている。
グロリア・ゲイナーの「ネヴァー・キャン・セイ・グッドバイ」が、1分間に128拍という速いテンポであるのに対し、「ダンシング・クイーン」の土台となるリズムは、無理なく踊り続けられる1分間に100拍で進んでいく。
多くのポップソングとは異なり、ボーカルは予想どおりにヴァースから始まるわけではない。また、コーラスの最初の一節である「ユー・アー・ザ・ダンシング・クイーン」から始まるわけでもない。
曲は、コーラスの途中にある最も高い音、「ユー・キャン・ダンス」から勢いよく始まる。ヴァース部分の音域が低いことを考えれば、これは聴き手の注意を一瞬で引き付ける巧みな方法である。
スヴェン=オロフ・ヴァルドフによるストリングス・アレンジは、コーラスに向かって高まっていく上昇感を加え、聴く者の心を強く引き寄せる。
ベニーのピアノ演奏も、曲にドラマ性と壮大さをもたらしている。曲の冒頭では、ピアノの白鍵の上を指で滑らせるように弾く、劇的なグリッサンドが使われている。
さらにベニーは指を大きく広げてオクターブを演奏し、高音部の旋律を低い音で補強している。
歌詞はいかに作られたか
曲名を「ダンシング・クイーン」に変更したことで、ベニーとビヨルンが1972年に作った「ニーナは、かわいいバレリーナ」よりも、大人びたダンスの物語を描く機会が生まれた。
シンデレラのように家をこっそり抜け出すのとは異なり、この曲の「クイーン」は、自らの意思で踊りに出かける。彼女は、自分が楽しめるものを自分自身で探し求める。
「キング」となる男性を見つけられれば、それも素敵なことかもしれない。しかし、「人生最高のひととき」を過ごすうえで、パートナーは必ずしも必要ではない。
「クイーン」という言葉が持つ二重の意味によって、この曲の主人公はLGBTQIA+コミュニティーとも自然な形で結び付いた。
「ダンシング・クイーン」は、やがてシドニー・ゲイ・アンド・レズビアン・マルディグラで人気のゲイ・アンセムとなり、カイリー・ミノーグをはじめとする歌手たちにも支持された。
「あなたは踊れる。思いのままに体を動かせる」という大胆なメッセージは、あなたが何者であろうと、誰を愛していようと関係ないのだという思いを、多くの人々の心に響かせた。
しかし、歌詞の中には疑問を抱かせる箇所もある。
スティッグが付けた「ダンシング・クイーン」という曲名は、作詞上の難題を生み出した。それは、「ダンシング・クイーン」と韻を踏む3音節の言葉を見つけることだった。
「タンバリン」は少々陳腐ではあるが、害のない言葉だ。しかし、「セブンティーン(17歳)」となると、さまざまな意味をはらんでくる。
ABBAは、10代の少女たちを、男性を誘惑し、その気にさせようとする存在として描いているのだろうか。こうした歌詞の倫理的な問題は、聴き手や作曲家たちから、ほとんど見過ごされてきた。
ABBAの復活
1980年代に入ると、世界の音楽的な嗜好は、甘美なスウェーデン・ポップから、グランジのような荒々しい音楽へと移っていった。ABBAは1982年に活動を停止した。
それから約10年後、ベストアルバム『ABBAゴールド』と、風変わりなオーストラリア映画『ミュリエルの結婚』(1994年)が登場し、ABBAの美しい楽曲に対する懐かしさをよみがえらせた。
U2のボノが「ダンシング・クイーン」をライブで披露し、さらにずっと後には、メタリカのカーク・ハメットとロバート・トゥルージロも演奏した。こうしたパフォーマンスによって、この曲はロック界の伝説的ミュージシャンたちからもお墨付きを得た。
1999年には、ABBAの人気が再び大きく高まった。ABBAの楽曲を使ったジュークボックス・ミュージカル『マンマ・ミーア!』が、ロンドンのウエストエンドで初演されたためである。
この架空の物語には、不屈の名曲「ダンシング・クイーン」をはじめとするABBAのヒット曲が巧みに織り込まれていた。
その後、メリル・ストリープ主演の映画版が2008年に公開され、「ダンシング・クイーン」は新たな世代にも広まった。そして2015年、この曲はグラミーの殿堂入りを果たした。
「ダンシング・クイーン」が時代を超えて愛され続ける理由については、1977年のある記者の言葉が最も的確に説明しているのかもしれない。
「ABBAが大衆の心をつかんでいる理由は二つある。一つは、技術的にほぼ完璧なレコードを作っていること。もう一つは、この憂鬱な世界で、多くの人が幸せを求めており、ABBAの音楽が人々を幸せな気持ちにしてくれることである」。

