フィルアメリカン(フィリピン系アメリカ人)のジョーダン・デ・レオン、『マンマ・ミーア!』出演を語る
25年以上にわたり、ABBAの音楽とともに描かれるミュージカル『マンマ・ミーア!』は、究極のハッピーミュージカルとして愛され続けています。
愛、友情、そして自分探しをテーマにしたギリシャの島を舞台とする物語は、多くの人々の心をつかんできました。キャサリン・ジョンソンによる脚本と、ベニー・アンダーソン、ビヨルン・ウルヴァースによる音楽と歌詞は、長年にわたり観客の共感を呼び続けています。
このミュージカルが再びロサンゼルスのアーマンソン劇場に戻ってきます。演出はフィリダ・ロイド。そして今回、フィリピン系アメリカ人の俳優ジョーダン・デ・レオンがアンサンブルとして出演し、さらにペッパー役のアンダースタディ(代役)も務めます。
デ・レオンは2023年から全米ツアー版『マンマ・ミーア!』に参加し、2025年にはブロードウェイ公演にも出演しました。今年は6月23日から7月19日まで、ロサンゼルスのアーマンソン劇場公演に参加しています。
彼は独占オンラインインタビューで、この不朽の名作への愛情や、再び作品に参加する喜びについて語りました。
*『マンマ・ミーア!』25周年記念ツアー公演。
ジェシカ・クラウチと『マンマ・ミーア!』25周年記念ツアーの出演者たち。
写真:ジョアン・マーカス
『マンマ・ミーア!』出演おめでとうございます。今回の役について教えてください。
ありがとうございます。
私はショーではダンサーの一人です。「フリッパー・ボーイ」と呼ばれる役の一人ですね。詳しくはぜひ劇場で見てください(笑)。
また、ペッパー役のアンダースタディも務めています。毎晩アンサンブルとして出演しながら、必要な時にはペッパー役も演じます。
準備としては、ニューヨークでは一般的なオーディションプロセスでした。最初のオーディションの後、2~3回のコールバックがあり、約1か月後にツアー参加が決まりました。
2023年11月から『マンマ・ミーア!』に参加しているので、かなり長い付き合いになっています。
この作品に戻ってくる理由は何でしょうか?
理由は二つあります。
まず一つ目はABBAの力です。
誰に聞いても、少なくとも一曲は大好きなABBAの曲があり、歌詞を全部覚えていて、一緒に歌えると思います。車の中でも家でも、ラジオを聴きながらでも歌ってしまう。それがABBAの音楽の力です。
そして二つ目は映画版の成功です。
『マンマ・ミーア!』は、多くの人にとって心を癒やしてくれる作品になっています。劇場の出口で、「嫌なことがあった日は映画版『マンマ・ミーア!』を見るんです」と言ってくれる人がたくさんいます。
ライブ版に出演するということは、その喜びを誰かに届ける側になれるということです。
2時間半の間、お客様は劇場に来て、素晴らしいショーを観て、大好きなABBAの曲を聴く。そして幸せな気持ちになって帰っていく。
何千人もの人々に喜びを届ける作品に関われていることが、私が長く続けている理由です。
好きなABBAの曲は?
難しいですね(笑)。
私は「マンマ・ミーア」が大好きです。
もちろん「ダンシング・クイーン」や「スーパー・トゥルーパー」も大好きです。毎晩バックコーラスを歌っていますが、少し感動してしまいます。
そして「ザ・ウィナー」もお気に入りです。
ただ、その日の気分によって変わりますね。
今日は「ギミー!ギミー!ギミー!」が好きだな、と思う日もあります。
ABBAの曲は気分によってお気に入りが変わるんです。
舞台に立ちたいと思ったのはいつ頃ですか?
ミュージカルを始めたのは小学6年生の頃です。
シカゴに来た全米ツアー版『ライオン・キング』を観た時でした。
ショーが始まった瞬間、
「これをやりたい!」
と思ったんです。
その後、中学・高校とミュージカルを続けました。
16歳の時、高校で『美女と野獣』に出演し、私はルミエール役を演じました。
その公演を観た声楽の先生が後日こう言いました。
「あなたはこれを仕事にできると思う。でも本気なら今から努力しなさい」。
それ以来、これを職業にしたいと思っています。
*『マンマ・ミーア!』25周年記念ツアー公演。
グラント・レイノルズと『マンマ・ミーア!』25周年記念ツアーのキャスト一同。
写真:ジョアン・マーカス
フィリピン系とのことですが、影響を受けたご家族は?
ドイツでロックバンドをやっていた叔母のテスがいます。
父も家でよく歌っていましたし、母はセリーヌ・ディオンやホイットニー・ヒューストンが大好きでした。
フィリピン人らしいですよね(笑)。
フィリピン人は歌が好きで、料理が上手で、親切だというイメージがありますが、そのイメージを誇りに思っています。
音楽はいつも人生の一部でした。
友人から、
「君ほど歌うのが好きな人に会ったことがない」
と言われたことがあります。
それは最高の褒め言葉でした。
実際、一日のほとんどの時間、私は歌っています(笑)。
ご両親は反対しませんでしたか?
いいえ。
もちろん芸術の世界は厳しいので心配はしていました。
でも私が大学でミュージカルを専攻したいと言った時、両親は
「わかった。でも努力しなさい」
と言ってくれました。
早朝4時からオーディション曲を練習していても支えてくれました。
父は最初の大学オーディションを見て、
「この子は本当に好きなんだ」
と感じたそうです。
そして、私の努力を信じてくれました。
フィリピン人家庭らしく、勤勉さと努力の精神を教えてくれたことに感謝しています。
*『マンマ・ミーア!』25周年記念ツアー公演。
『マンマ・ミーア!』25周年記念ツアーのキャスト一同。
写真:ジョアン・マーカス
専門教育はどこで受けましたか?
私はオハイオ州シンシナティのシンシナティ大学に進学しました。
実は私は同大学音楽院(CCM)の初のアジア系男性卒業生です。
さらに私の同級生2人は女性初のアジア系卒業生でした。
これは大きな誇りです。
今でも合格通知を受け取った日のことを覚えています。
まるで宝くじに当たったような気持ちでした。
アジア系の舞台進出は改善していますか?
良くなっています。
数字も変わり始めています。
しかし完璧ではありません。
アジア系アメリカ人は依然としてブロードウェイで最も過小評価されているグループの一つです。
だからこそ、フィリピン人としてブロードウェイに立てることを誇りに思います。
『マンマ・ミーア!』は多様性を大切にしてきた作品です。
ブロードウェイ初日の公演では、歴代のアジア系・フィリピン系出演者たちが集まりました。
その時、
「自分は一人ではない」
と感じました。
私は、アリ・エウォルト、レア・サロンガ、パオロ・モンタルバンといった先輩たちを尊敬しています。
若いフィリピン系の子どもたちに夢を与えられる存在でありたいと思っています。
レア・サロンガさんとは共演しましたか?
まだありません。
でも初めて『アラジン』で彼女の歌声を聴いた時、
「なんて素晴らしい声なんだ」
と思いました。
後で彼女がフィリピン系だと知り、
「私たち、なかなかやるじゃないか!」
と思いました(笑)。
ブロードウェイで苦労したことは?
私の恩師であるフィリピン系俳優のJ・エレイン・マルコスさんがこう言いました。
「私たちはフィリピン人として見られる。ブロードウェイの基準は今も白人中心だ」。
コールバックの場では、
「面白い解釈だね」
と言われることがあります。
でも私は役の解釈ではありません。
ただフィリピン人なだけです。
そのため私たちは、認められるために白人俳優よりさらに努力しなければなりませんでした。
大変でしたが、その経験が私の努力する姿勢を作りました。
今では業界も少しずつ変わっています。
かつての苦労が今では強みになっています。
*『マンマ・ミーア!』25周年記念ツアー公演。
左から:ドミニク・ヤング、ジャリン・スティール、そして『マンマ・ミーア!』25周年記念ツアーのキャスト一同。
写真:ジョアン・マーカス。
夢の役はありますか?
昔は『ハミルトン』や『ウィキッド』に出たいと思っていました。
今でもそう思います。
でも最近は考え方が変わりました。
私はアンサンブルが大好きなんです。
ミュージカルは究極のチームスポーツです。
だから今は、
「どの役を演じるか」
よりも、
「どのチームの一員になれるか」
を大切にしています。
もちろん『ハミルトン』『アラジン』『ウィキッド』などに出演できたら嬉しいです。
でも今の本当の夢は、
「新しい役を生み出すこと」
です。
誰かが作った役ではなく、自分自身が最初に創り上げる役。
それが今の私の夢の役ですね。





