アンニ=フリードはレコーディングを聴いて涙を流し、イギリスの人々は「史上最も好きなABBAの曲」に選んだ。初めてチャートの頂点に立ってから50年――私たちは今も「ダンシング・クイーン」を聴けば、踊らずにはいられない。
*アンニ=フリード・リングスタッドは、「ダンシング・クイーン」の最初のレコーディングを聴いたとき「涙を流した」
*写真:ゲッティ・イメージズ
あの流れるようなピアノのイントロ。その最初の一音を聴いただけで、誰もがこの曲だと分かる。
スウェーデンのグループ、ABBAの「ダンシング・クイーン」がイギリスのチャートで初めて首位に立ってから、50年が経った。
多くの人から「完璧なポップ・ソング」と称賛されてきたこの曲は、今なお世界中の誕生日パーティーや結婚式、カラオケ、コンサートなどで演奏され続けている。
1976年9月4日、長年にわたってABBAの代名詞ともいえる楽曲として親しまれてきた「ダンシング・クイーン」は、全英シングル・チャートで1位を獲得。その座を6週間にわたって守り続けた。
これは、「恋のウォータールー」「マンマ・ミーア」「悲しきフェルナンド」に続く、ABBAにとって4曲目の全英ナンバーワン・ヒットとなった。
当時、ABBAは4作目のスタジオ・アルバム『アライヴァル』の制作に取り組んでいた。
しかし、1974年のユーロビジョン・ソング・コンテストで「恋のウォータールー」を歌い優勝した後、創作活動が思うように進まない時期を迎えており、メンバーたちはプレッシャーにさらされていた。
さらに、プロモーション活動のために、レコーディング・セッションもしばしば中断を余儀なくされていた。
そんななか、1975年8月、ABBAはついに「ダンシング・クイーン」をレコーディングする。
これは、ABBAにとって初めてディスコに挑戦した楽曲だった。
ジャーナリストのヤン・グラッドヴァルは、ABBAのメンバーであるビヨルン・ウルヴァース、ベニー・アンダーソン、アンニ=フリード・リングスタッド、アグネタ・フォルツコグに新たなインタビューを行ない、それをもとにABBA公認の伝記『メランコリー・アンダーカヴァー:ザ・ブック・オブ・ABBA』を執筆した。
その中でグラッドヴァルは、「ダンシング・クイーン」の有名なリズムには、二つの音楽的な源泉があったと説明している。
*ABBAのビヨルン・ウルヴァース、アグネタ・フォルツコグ、アンニ=フリード・リングスタッド、ベニー・アンダーソン
*写真:PA通信
グラッドヴァルは、こう記している。
「一つは、ジョージ・マクレーの『ロック・ユア・ベイビー』だった。これは初期のディスコ・レコードの一つで、前年に発売された曲だ。ABBAのメンバーたちは、アレクサンドラでこの曲を何度も聴いていた」。
そして、もう一つの源泉については、
「もう一つは、1972年のアルバム『ドクター・ジョンズ・ガンボ』に収められていたニューオーリンズのリズムだった。ロジャー・パームがこのアルバムをよく聴いていた」
と説明している。
さらにグラッドヴァルは続ける。
「この二つの原型はいずれもアメリカのものだった。しかし、ABBAがディスコを演奏すると、そこには紛れもなくヨーロッパ的なサウンドが生まれる」。
そして「ダンシング・クイーン」の印象的なイントロについて、こう描写している。
「曲は、ベニーがボーリン製グランドピアノの鍵盤の上を指で滑らせるところから始まる。そして曲が始まる――実際に聴いてみると、いつも記憶しているよりもテンポが遅いのだ」。
またグラッドヴァルによれば、「ダンシング・クイーン」には当初、別の仮タイトルが付けられていた。
そのタイトルは、
「ブーガルー」
だった。
そして、現在私たちが知り、愛している「ダンシング・クイーン」というタイトルを提案したのは、ABBAのマネージャーだったスティッグ・アンダーソンだった。


